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犬神家族-第五章 唐櫃の中(2)
日期:2022-05-31 23:59  点击:229
金田一耕助にとって、いまの大山神主の一言は、まさに青天の|霹《へき》|靂《れき》
だった。まえにもいったとおり、このことばかりは、「犬神佐兵衛伝」にも書いてなく、耕
助にとっては実に初耳だったのである。
耕助の驚きが、あまり大きかったので、大山神主はかえってびっくりしたらしく、眼を
パチクリさせながら、
「金田一さん、それじゃあんたはこのことを、ご存じなかったのかな」
「知りませんでした。だって、『犬神佐兵衛伝』にも、そんなことは書いてありませんでし
たよ。野々宮氏との関係は、かなり詳しく書いてありますが……」
「むろん、そんなこと、表だっていえることじゃありませんからな。しかし土地のものは
みんな知ってますよ。古館君はいいませんでしたか」
古館弁護士は紳士だから、みだりに他人の秘事にふれることはひかえていたのだろう。
だが、このこと――野々宮大弐と犬神佐兵衛とのあいだに、衆道の契りがあったという
ことが、なにかこんどの事件に、糸をひいているのではあるまいか。
金田一耕助はまるで|深《しん》|淵《えん》でものぞくような眼つきで、しばらく考
えこんでいたが、やがて顔をあげると、
「なるほど、それであなたはいま、なにかその確証を発見したとかおっしゃいましたが、
なんですか、それは……」
大山神主はさすがに自分の不謹慎を恥ずるふうがあったが、それでいながらなおかつ、
この発見をだれかに誇らずにはいられなかったのだ。
「さあ、それですよ」
と、ひざをすすめて、酒臭い息を吹きかけながら、語るところによるとこうである。
大山神主はさきごろ、必要があって那須神社の宝蔵のなかを整理したことがあるが、そ
のとき発見したのが、ひとつの古びた|唐《から》|櫃《びつ》であった。それは|堆《う
ずたか》い|塵《ちり》とガラクタに埋もれて、大山神主もいままでついぞ、そのような
唐櫃のあることに気づかなかったものだが、見ると箱とふたとの境のすきには、厳重な|
目《め》|貼《ば》りの紙のうえに、なにやら墨で書いてある。なにしろずいぶん古くな
って、目貼りの紙も真っ黒にすすけているので、はじめのうちはなかなか読めなかったが、
それでも苦労のすえ、やっと判読したところによると、それはつぎのような文字であっ
た。――野々宮大弐、犬神佐兵衛両名立会?ノ下ニ、之ヲ封印ス。明治四十四年三月二十
五日――
「明治四十四年三月二十五日……これを読んだとき、私ゃはっとしたんです。『犬神佐兵衛
伝』を読めばわかりますが、野々宮大弐さんの亡くなったのは、明治四十四年五月のこと
です。だから唐櫃は、大弐さんの死ぬ少しまえに、二人で封印したものなんです。おそら
く大弐さんが、余命いくばくもないとさとって、佐兵衛翁とふたりで、この唐櫃のなかへ、
なにかを封じこめたにちがいない。……と、そう思ったものですから……」
「封印を破ったんですか」
金田一耕助のいくらかとがめるような語気に、大山神主はあわてて右手をふりながら、
「いやいや、封印を破ったといえば語弊があります。さっきもいうたとおり、ずいぶん古
いものですから、目貼りの紙もすっかり虫が食っていて、封印を破るも破らんも、ふたを
持ち上げるとすっぽり開いちまったんです」
「なるほど、それでついなかをご覧になったわけですね。でいったい、なにが出てきたん
です」
「おびただしい|文《ふみ》|殻《がら》でしたよ。ええ、櫃いっぱいの文殻なんです。
手紙もあるし、大福帳みたいなものもある。それから日記や覚え帳、……昔のことですか
ら、みんな日本紙のつづりなんですが、そんなものがいっぱい入っているんです。私はそ
のなかの、手紙を少し読んでみたんですが、それがつまり艶書なんですね。大弐さんと佐
兵衛翁のあいだに取りかわされた……いや、翁といっても、そのころはまだ、水の垂れる
ような美少年だったんでしょうがね……」
大山神主はそういって、くすぐったそうにニヤリと笑った。しかし、すぐそのあとで弁
解するように、
「金田一さん、こういったからといって、私がいやしい、好奇心のとりこになっていると
思ってくだすっちゃ困りますよ。私は佐兵衛翁を尊敬しているんです。崇拝しているんで
す。なんといっても、佐兵衛翁はわれわれ那須人の恩人であるのみならず、信州随一の巨
人ですからな。私はその巨人のほんとうの姿を知りたい。そして、いつか機会があったら
その伝記を書きたいんです。
『犬神佐兵衛伝』のようにきれい事ではなしに、あのひとの赤裸々の姿を書きたいんです。
そのことはけっしてあのひとを傷つけることになりはしないと思う。いや、それでこそ、
はじめてあのひとの真の偉大さを伝えることができると思うんです。そういう意味からい
っても、私はあの唐櫃の内容を徹底的に調査してみようと思う。ひょっとするとこの唐櫃
のなかから、いままでだれにも知られなかったような、貴重な文献が得られるのじゃない
かと思っているんです」
それは一種の酔っ払いの|管《くだ》だった。大山神主は自分の言葉に酔うているので
ある。かれはけっして、本心からおのれの言葉に、確信を持っていたわけではなかった。
だが、それにもかかわらず、大山神主の予見は当たっていたのだ。
その後間もなく、大山神主によって、唐櫃のなかから発見された、あの世にも意外な秘
密は、いかに深刻にこの事件に影響したか……金田一耕助は事件が終わったのちまでなが
く、そのことに思いいたるたびに、いつもぞっとするような恐ろしさを、感じずにはいら
れなかったのであった
|柘《ざく》 |榴《ろ》
ちかごろでは、お通夜を本式にやる家はめったにない。たいていは、十時か十一時にな
るとお開きにする。いわゆる半通夜というやつである。
ましてや、犬神家のように、たがいに憎みおうている一族では仏の両親や妹以外、だれ
も夜を徹してまで、お勤めをしようとは思わなかったであろう。それにまた、首と胴とつ
ながれた、死人のそばに|侍《はべ》っているということは、だれにしたって、あんまり
気持ちのよいことではなかった。そこで古館弁護士の発言で、お通夜は十時で打ち切るこ
とになった。
そのころには、嵐もよほどおさまっていたが、それでも空にはまだ、|墨汁《ぼくじゅ
う》のような黒雲がながれ、ときおり思い出したように、なごりの雨が横なぐりに吹きつ
けたりした。
金田一耕助はその雨のなかを、古館弁護士とつれだってかえっていったが、そのあとで、
犬神家ではまたひとつの事件が起こったのである。
この事件は、昨夜の佐武の事件や、また、もっとのちにあいついで起こった、ふたつの
殺人事件にくらべると一見ごくたあいのない、とるに足らぬ事件のように思われがちだが、
どうしてどうして、この事件のなかにこそ、非常に重大な意味がふくまれていたことが、
あとになってわかったのである。

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