できるだけ落ち着くように努めていても、おさえがたい怒りが、青白い炎となって吹き
あげる。声がふるえて|甲《かん》|走《ばし》った。小夜子が悲しげに、その手を握り
しめる。
「さあ、猿蔵、いっておくれ、いいえ、なにも遠慮することはないのよ。あなたの知って
るだけのことを言っていただきたいの。どんな悪いことでも、あとでやっぱりそうだった
のかと思い当たるより、いま、ここでハッキリ知っておきたいの。そして覚悟をきめてお
きたいの」
「お嬢さま、さっきの紙きれをごらんになりましたか」
「はい、見ましたよ。この紙きれについての説明も、いっしょに聞くことにしましょう」
猿蔵はソワソワとくちびるをなめながら、ボツリボツリと昨日のことを話しはじめる。
話しなれないかれは、少し長い話になると、すらすらしゃべることができないのだ。だか
ら、署長や珠世が、おりおり言葉をはさんで、あとをうながしてやらねばならなかった。
猿蔵の話によるとこうである。昨日の夕方、四時ごろのことであった。猿蔵のもとへど
こからともなく電話がかかってきた。電話は珠世のいどころを知らせてきたのであった。
猿蔵にはよく意味がわからなかったけれど、事をあらだてると、珠世の恥になることだか
ら、だれにも知らさず、そっと迎えにいったらよかろうということであった。そして、い
うだけのことをいってしまうと、相手は電話をきってしまった。
「それで、猿蔵さんは迎えにいったわけだね」
「へえ、だれにも知らしちゃいけねえというだで、こっそりボートで行ったんで」
「すると、はたして珠世さんが、豊畑村の空き家にいたんだね」
「へえ」
「そのときの様子をもっと詳しく話してくれませんか。佐智さんはもうそこにはいなかっ
たのかね」
「お嬢さんはベッドの上に寝てただ、おらてっきり死んだんだと思っただ。それほど顔色
が悪かったんだで。でもすぐそうじゃねえことがわかりました。お嬢さんは薬をかがされ
て眠っていたんで。口のはたに、強い薬のにおいがしてましただ」
「佐智は……それよりも、佐智はどうしたんです」
梅子のヒステリックな声が、広間の静けさをつんざいた。
それを聞くと、猿蔵はものすごい勢いでそのほうへふりかえった。ギラギラする眼で相
手の顔をにらみすえた。
「佐智?……おお、あの畜生か、あの畜生もそこにいただよ。ああ、同じ部屋にいただ。
だけど、あいつはどうすることもできなかっただよ。半分裸で、がんじがらめに|椅《い》|
子《す》に縛りつけられていただからな、おまけに猿ぐつわをはめられてよ。みじめなざ
まったらなかっただよ」
「猿蔵さん、きみがしばりあげたのかね」
そばから金田一耕助がおだやかに言葉をはさんだ。
「いいや、おらじゃねえ。おらじゃねえさ。たぶんおらに電話をかけてきた『影の人』の
しわざでがんしょ」
「影の人――?」
署長が|眉《まゆ》をひそめて、
「影の人とはなんですか」
「お嬢さん、さっきの紙きれをお持ちだか」
珠世がだまってあの紙片を署長にわたした。署長はそれを読むと、ほほうというふうに
眉をつりあげたが、すぐにそれを金田一耕助にわたした。金田一耕助も驚いたように眉を
ひそめた。
「猿蔵さん、この紙きれはどこにあったのですか」
「お嬢さんの胸の上に、安全ピンでとめてあったんです」
「なるほど、署長さん、この紙きれは大事にとっておかれたらいいでしょう」
「ああ、とにかくお預かりしておこう」
署長はその紙きれをポケットにしまいながら、
「ところで、猿蔵さん、それからきみはどうしたのかね。珠世さんをつれてかえったのか
ね」
「へえ、さようで、ああ、そうそう、行きがけはボートだっただが、かえりはモーターボ
ートでしただよ。佐智の畜生の乗っていったボートに、かまうことはねえと思って乗って
かえっただ」
「そして、佐智は……佐智はどうしたんです」
梅子夫人がまた金切り声をあげた。
「佐智か。あいつはまだあの部屋にいるのだろうよ。おらなにも、あいつまでつれてかえ
る義理はねえからな」
猿蔵はせせら笑った。
「縛られて、……猿ぐつわをはめられたまま……」
梅子夫人が悲鳴をあげた。
「ええええ、そうだよ。おまけに上半身は裸でな。おら口をきくのも汚らわしかったので、
あいつがもがいているのを相手にもなってやらなかっただ。いや、そうでもねえか。出が
けにうんとでっけえビンタを、一つ食わしてやりましただね、ははははは……」
梅子夫人が気が違ったように立ち上がってわめいた。
「だれか行って、あの子を助けてやって……あの子は凍え死んでしまう」
那須湖の水門から、モーターボートが出ていったのは、それから間もなくのことだった。
モーターボートに乗っているのは、橘署長に金田一耕助、それから佐智の父の幸吉と案内
役に猿蔵。小夜子もどうしてもついていくといっしょにモーターボートに乗っていた。
豊畑村の三角州へつくと、昨日、猿蔵の乗り捨てていったボートが、まだ葦の間にうか
んでいた。それから見ても、佐智がまだこの空き家にいることはたしかであった。
そうだ、佐智はその空き家にいたのだ。
猿蔵の案内で、一同が例の殺風景な寝室へ入っていくと、上半身裸のままの佐智は、猿
ぐつわをはめられ、後ろ手に椅子にしばりつけられたまま、がっくりと首をうなだれてい
た。
「はははは、やっこさん、気を失ってやがらあ! これで少しはお|灸《きゅう》が身に
しみたろう」
猿蔵が憎々しげに毒づいた。幸吉がそばへ走りよって、急いで猿ぐつわをとり、息子の
顔を上へあげた。
だが、そのとたん、悲鳴とともに、幸吉がはなしたので、佐智の首は折れるようにガク
リと再び下にさがった。そして、それと同時に、人々は見たのである。佐智の首に奇妙な
ものが巻きついているのを。