この一団からまたすこし離れたところに、珠世がひとり、孤立の姿でひかえている。
彼女はあいかわらず美しい。美しいことにかけては、ふだんと少しもかわりはないが、
しかし、今日の珠世はいつもの彼女ではなかった。呆然と放心したように見はった瞳には、
どこかいたいたしい傷心の色が濃かった。なにをいわれても、どのような眼で見られても、
ただ端然と、美しく取りすましていた珠世だのに、今日ははじめから、なんとなく取り乱
した様子である。彼女をささえていた強い自我の根が、なにかのはずみに、ポッキリ折れ
たという格好だ。おりおりはげしい戦慄が、思い出したように彼女を襲う。
珠世からすこし離れたところに、琴の師匠の宮川香琴。彼女はまだ、自分がなぜこの席
へ呼び出されたのか知っていないらしい。恐ろしい松竹梅三人姉妹をまえにおいて、彼女
はただおどおどとおびえている。
香琴女からすこし離れて、金田一耕助と古館弁護士。古館弁護士はすっかり落ち着きを
うしなって、しきりに|空《から》|咳《せき》をし、額をこすり、貧乏ゆすりをする。
金田一耕助もさすがに興奮しているのか、一同の顔を見まわしながら、さっきから、もじ
ゃもじゃ頭をかきまわしつづける。
午後二時ジャスト。
遠くのほうで|呼《よ》び|鈴《りん》の音がしたので、一同はさっと緊張する。間も
なく縁側の向こうから、ドヤドヤ足音がちかづいてきて、まずいちばんに姿を見せたのは
橘署長。それにつづいて左右から、刑事に腕をとられた犬神佐清。|蹌《そう》|踉《ろ
う》とした足どりで、手錠をはめられた右の手に、白い包帯がいたいたしい。
佐清は障子のそとまでくると、ギックリと、おびえたように立ちどまった。そしておず
おずと一同の顔を見まわしていたが、その視線が、松子夫人までくると、はじかれたよう
に顔をそむける。
と、その拍子にかれの視線は、カッキリと珠世の瞳とかみあった。しばらくふたりは活
人画のように、眼を見かわしたまま身動きもしなかったが、やがて佐清がのどの奥で、す
すり泣くような音をたてて顔をそむけると、珠世もガックリ、|呪《じゅ》|縛《ばく》
がとけたようにうなだれた。
このとき、金田一耕助が、いちばん興味をもって見守ったのは、なんといっても松子夫
人である。さすがに彼女も佐清の顔を見たとたん、さっと|頬《ほお》を紅潮させ、きせ
るを持つ手がふるえたが、すぐに日ごろのしんねり強い顔色にもどると、落ち着きはらっ
て、しずかに刻みたばこをもみはじめる。
その意志の強さには、金田一耕助も舌をまいて驚嘆した。
「おい、佐清君をこれへ……」
橘署長の声に刑事のひとりが、手錠をはめられた佐清の肩をおした。佐清はよろよろと
座敷のなかへ入ってくると、橘署長の指さすままに、金田一耕助のまえの席につく。刑事
がふたり、いざという場合、いつでもとびかかれるように背後にひかえる。橘署長は金田
一耕助のとなりの席に座った。
「で……?」
ちょっとした沈黙があってのち、金田一耕助が署長のほうをふりかえって、
「なにか新しい事実をききだすことができましたか」
橘署長はむっつりと、口をへの字なりに結んだまま、ポケットからしわくちゃになった
茶色の封筒をとりだした。
「読んでごらんなさい」
金田一耕助が手にとってみると、表には、
「わが告白」
と、あって、裏には、
「犬神佐清」
太い万年筆の走り書きである。
封筒のなかには粗末な|便《びん》|箋《せん》が一枚、表書きと同じ字で、
[#ここから1字下げ]
犬神家における連続殺人事件の犯人は、すべて私、犬神佐清である。私以外の|何《な
ん》|人《ぴと》も、この事件には関係がない。自決の直前に当たってこのことを告白す。
[#ここから1字下げ]
[#地から2字上げ]犬神佐清
金田一耕助はこれを読んでも、かくべつなんの興味もおもてにあらわさなかった。無言
のまま、便箋を封筒におさめてそれを署長にかえすと、
「佐清君がこれを持っていたんですね」
「そう、内ポケットに」
「しかし、佐清君は自殺するつもりならなぜさっさと自殺しなかったんです。なぜあんな
ふうに、警官に抵抗しなければならなかったんです」
橘署長は|眉《まゆ》をひそめて、
「金田一さん、それはどういう意味です。それじゃあんたは、佐清君に自殺するつもりな
どなかったというのかな。しかし、あんたも昨日、その場にいあわせたから知ってるはず
だが、あのときこちらのだれかのはなった弾丸が、佐清君の右手に命中しなかったら、こ
のひとはたしかに自殺してたはずだぜ」
「いやいや、署長さん、ぼくのいうのはそうじゃないんです。佐清君はたしかに自殺する
つもりだった。しかし、それをできるだけ、はなばなしく、劇的にやりたかったのです。
できるだけ世間の注目をひきたかったのです。そうすればするほど、告白書の効果が強く
なるわけですからね」
橘署長はまだ|腑《ふ》に落ちかねる顔色だったが、金田一耕助は委細かまわず、
「いや、さっきぼくのいったことには、ひとつ大きなまちがいがある。佐清君はなぜ警官
に抵抗したかといいましたが、これはまちがい。佐清君は抵抗なんかちっともしやあしな
かったんだ。ただ、抵抗してるふうをしていただけなんです。このひとの銃口は、絶対に
警官をねらってはいなかった。いつも雪をねらっていたんです。署長さん、あなたはその
ことに気がつきませんでしたか」
「そういえば、わしもあのとき、ちょっと不思議に思ったんだが……」
「ああ、それじゃあなたも気がついていらしたんですね」
金田一耕助はうれしそうに、もじゃもじゃ頭をかきまわしながら、
「署長さん、このことはよく覚えておいてくださいよ。佐清君の罪を決定する際に、ひと
つの反証になるわけですからね」
橘署長はまだ腑に落ちかねるように顔をしかめた。しかし、金田一耕助は依然として委
細かまわず、
「ときに署長さん、佐清君はこの告白書に書かれていることについて、具体的に語りまし
たか、どういうふうにして殺したのだというようなことを……」