それはさておき村の人たちはこの首級によって、首尾よく毛利方よりのほうびの金にありついたが、肝心の三千両という黄金は、どうしてもありかがわからなかった。かれらは血眼ちまなこになって、草の根をわけ、岩をうがち、渓谷を掘って黄金のゆくえを求めたが、ついに成功することがなかったという。それのみならず、この黄金の探索の間にいろいろ不祥の怪異があった。
あるものは鍾乳洞の奥をさぐっていたところが、突然、落盤のためにあえない最期をとげた。あるものは、岩角を掘っていたところが、ふいに崖がけ崩れのために、足を踏みすべらし、谷底へおちて大けがをしたあげく跛びっこになった。あるものは木の根を掘っていたところが、突然、その木が倒れてきて、無残な圧死を遂げた。
こうした怪事があいついだところへ、最後に村人を恐怖のどん底にたたきこむような事件が起こった。
八人の落武者が惨殺されてから、半年ほど後のことである。その年はどういうものかこの地方に雷が多く、落雷がしきりであったから、これも八人の怨おん念ねんであろうかと、村の人たちも安からぬ思いにおののいていたところ、ある日、名主田治見庄左衛門宅の杉の大木に落雷して、杉の木はもののみごとに根元まで真っ二つに裂けた。
ところでこの田治見庄左衛門こそ、かの落人襲撃の発頭人であったが、あれ以来、とかく気分がすぐれず、なんとやら物狂おしい振る舞いが多かったので、家人も戦々兢々せんせんきょうきょうとしていたところ、突如、この落雷で逆上してしまった。ありあう刀を抜きはなつと見るや、いきなり家人の二、三人を斬り倒し、家を走り出ると、いきあう村人を片っ端からなぎ倒し、おのれは山へ入って自ら首をはねて死んだ。
嘘うそか実まことか、このとき、けが人は十数人出たが、庄左衛門の一撃で死んだのは七人であり、それに自ら首をはねて死んだ庄左衛門を加えると、八人の死人が一時に出たということになり、これもあの無残に殺された八人の落武者の、怨念のなすわざであろうと人々は恐れた。
そこで人々は八人の霊を鎮めるために、犬猫ねこ同然に埋めておいた八つの死し骸がいをとり出すと、改めてこれを丁重に埋葬し、そこに八つの墓を立て、明神とあがめ奉ることにした。これがすなわち、八つ墓村の背後の丘にある八つ墓明神の由来記で、村の名もこの明神の名前から来ている。
以上が八つ墓村に関して、遠き昔から語りつがれた物語である。
ところが歴史は繰り返すとでもいうのであろうか、近年になってこの山奥の一寒村の名が全国の新聞に喧けん伝でんされるような、一大不祥事件が起こった。そして、その事件こそ私がここに紹介しようとする怪事件の、直接の端緒となっているのである。
それは大正×年、すなわちいまから二十数年まえのことである。
東屋とよばれる田治見家の当時の主人は、要よう蔵ぞうといって、そのころ三十六歳だったが、田治見家にはかの庄左衛門以来、代々狂疾の遺伝があり、要蔵も若いころから、とかく粗暴残虐の振る舞いが多かった。要蔵は二十の年におきさという女と結婚して、久ひさ弥や、春はる代よという二人の子どもがあった。
要蔵は早く両親をうしなったので、二人の伯お母ばに育てられた。したがって事件の起こったころの田治見家の家族といえば要蔵夫婦に十五になる息子の久弥、八つになる娘の春代と二人の子どものほかに、いまいった二人の伯母があった。
この二人の伯母というのは双生児で、二人とも生涯良人しょうがいおっとを持たず、いかず後家として、要蔵の両親なきあと田治見家のいっさいの采さい配はいをふるっていた。要蔵には弟が一人あったがこれは母の実家をつぐために、早くから家を出て、姓も里村と名乗っていた。
さて、事件の起こる二、三年まえ、要蔵は妻も子どももありながら、突然はげしい恋をした。恋の相手は村の博ばく労ろうの娘で、当時高等小学校を出て、郵便局の女事務員をしていた。年は十九で、名は鶴つる子こ。
要蔵はまえにもいったように粗暴で残虐性を持つ男だったが、その恋もまた、文字どおり火のようにはげしいものであった。一日かれは鶴子の帰りを道に擁して、むりやりに自家の土蔵へ拉らつしかえると、暴力をもってこれを犯した。しかもかれはそのまま鶴子を土蔵に閉じこめてかえそうとはせず、気ちがいじみた情欲の犠牲として責めさいなんだ。
鶴子はむろん泣き叫んで救いを求めた。事情を知った二人の伯母と妻のおきさが、驚いて要蔵をいさめたがかれは頑がんとしてきき入れなかった。鶴子の両親もびっくりして駆けつけてくると、娘をかえしてくれるようにと泣きついたが、要蔵は一言のもとにはねつけた。あまりしつこく周囲のものが騒ぎ立てると、要蔵はギラギラした眼つきをして、どんな乱暴なまねもしかねまじき風ふ情ぜいであった。
それに恐れをなした人々は、結局鶴子を口説き落として、要蔵の妾めかけになることを承知させるよりほかにみちはなかった。鶴子はなかなかうんといわなかったが、彼女がかぶりを横にふったところで、どうなるものでもなかった。土蔵の鍵かぎは要蔵が握っており、好きなときにやってきて、暴力をもって思いを遂げていくのである。
鶴子もだんだん考えた。こんなことならいっそすなおに承知して、要蔵の妾になろう。そうすればこの土蔵から出ることができるであろう。土蔵から出さえすれば、また、なんとか方法もあるだろう。──鶴子はそんなふうに覚悟をきめて、両親を通してその旨を要蔵に通じた。
要蔵の喜びはいうまでもない。鶴子はすぐに土蔵から出されて、離れの一棟むねがあてがわれた。そして着物だの髪飾りだの調度類だの、いろいろなりっぱなものがあてがわれて、要蔵のかわいがりようといったらなかった。かれは昼も夜も離れに入り浸って、鶴子の肉を愛あい撫ぶしつづけた。