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八墓村-発 端(3)
日期:2022-05-31 23:59  点击:225

鶴子にはそれが恐ろしかった。聞くところによると、要蔵の情欲には、なにかしら気ちがいじみたはげしさがあって、とてもふつうの女には、受けとめかねたのであろうといわれている。たまりかねた鶴子は、いくたびか要蔵のもとから逃亡を試みた。しかし、そのつど要蔵が気ちがいのように暴れるので、村の人々が恐れをなして、鶴子のもとへ泣きついてきた。結局、鶴子はいやいやながらも、要蔵のもとへかえらねばならなかった。

そうしているうちに鶴子は妊娠して、男の子を産み落とした。要蔵は大喜びで辰たつ弥やとその子に命名した。こうして子どももできたしするので、鶴子の尻もいくらか落ち着くかと思われたが、その後も彼女は、子どもを抱いてたびたび家を抜け出した。それというのが、子どもができたのちも、要蔵のはげしい情欲には少しもかわりはなかった。いや、子どもを産んだことによって、女が完全に自分のものとなったと思いこんだ要蔵は、いよいよ増長して狂態の限りをつくした。

それに耐えられなかったのと、もうひとつ鶴子がそんなにたびたび飛び出すには、深い理由のあることを、そのころになって両親や村の人もはじめて気がついた。

鶴子にはずっと以前から、深く言いかわした男があったのである。それは村の小学校の訓くん導どうで、亀かめ井い陽よう一いちという青年だった。訓導という職務柄、二人はこの恋をよほどうまく隠していたらしい。亀井というのはこの村の出身者ではなく、他から転勤してきたものだが、この地方の地質に興味をもっているとやらで、よく鍾乳洞の探検に出かけたりしていたから、おそらく二人は、人の知らない鍾乳洞の奥で、ひそかに逢あい曳びきをつづけていたのだろうといわれている。

村の人は口さがないから、こういうことがわかってくると、辰弥の出生にもとかくのことを言い出すものがあった。

「あれは田治見の旦だん那なの子どもではない。亀井先生の子どもなのだ」

せまい村でのこういううわさは、いつか要蔵の耳に入らずにはいない。要蔵は烈火のごとくいきどおった。愛着もはげしい代わりに、嫉しっ妬とも気ちがいじみていた。鶴子の髪の毛をとって、打つ、蹴ける、殴るはまだしものこと、素っ裸にして冷水を浴びせたりした。それまで、眼の中に入れても痛くないほど、かわいがっていた辰弥の背中や太ふと股ももに、焼け火ひ箸ばしをあてたりした。

このままでいけば子どもも自分も殺されてしまう。──たまりかねた鶴子は、また辰弥をかかえて家を抜け出した。二、三日彼女は、両親のもとにかくれていたが、自分が飛び出したあとの要蔵の怒りを人づてにきくと、恐ろしくなって郷里を出奔しゅっぽんして、姫路にある親しん戚せきのもとへ身をかくした。

要蔵は四、五日、酒ばかりくらって、鶴子のかえりを待っていた。いままでの例だと、鶴子が飛び出していってもたいてい二、三日もすると両親か村の総代が詫わびを入れて、連れかえしてくるのであった。ところがこんどは五日待っても十日待っても鶴子はかえってこなかった。要蔵のいら立ちはしだいに気ちがいじみてきた。二人の伯母も妻のおきさも、恐ろしくてそばへ寄れなかった。こんどばかりは村の人たちも、だれひとり口をきこうとするものはなかった。

こうしてついに、要蔵の狂気は爆発したのである。

それは春のおそい山村では、まだ炬こ燵たつのいる四月下旬のある夜のことだった。

村の人たちは突然、時ならぬ銃声と、ただならぬ悲鳴に眠りをさまされた。銃声は一発にとどまらず、間をおいて二発、三発とつづいた。悲鳴、叫声、救いを求める声はしだいに大きくなってきた。何事が起こったのかと表へ飛び出した人々は、そこに世にも異様な風体をした男を見た。

その男は詰つめ襟えりの洋服を着て、脚に脚きゃ絆はんをまき草鞋わ ら じをはいて、白鉢はち巻まきをしていた。そしてその鉢巻きには点つけっぱなしにした棒型の懐中電燈二本、角のように結びつけ、胸にはこれまた点けっぱなしにしたナショナル懐中電燈を、まるで丑うしの刻参りの鏡のようにぶらさげ、洋服のうえから締めた兵へ児こ帯には、日本刀をぶちこみ、片手に猟銃をかかえていた。村の人々はそれを見ると、だれでも腰を抜かさずにはいられなかった。いや腰を抜かさぬまでも、そのまえに男のかかえた猟銃が火をふいて、ひとたまりもなくその場に撃ち倒されてしまった。

これが要蔵だった。

かれはまず、そういう風体で、一刀のもとに妻のおきさを斬って捨て、そのまま狂気のように家を飛び出したらしい。さすがに二人の伯母や子どもたちには手をつけなかったが、その代わり、罪もない村の人たちを、当たるを幸いと、あるいは斬り捨て、あるいは猟銃で狙そ撃げきして回った。

後で調べてわかったところによると、ある家は表をたたいて訪れる声に、何気なく主人が、大戸をひらいたところをいきなり外からズドンと狙撃された。また、ある家では新婚の若夫婦の寝入りばなを、雨戸を一寸ほどこじあけて、そこから突っ込んだ銃口で、まず花婿を撃ち殺し、物音に驚いてとび起きた花嫁が壁際まで逃げていって、助けてくれと手を合わせているところを、ズドンと一発やったらしい。手を合わせたまま死んでいる若い嫁の姿勢が、駆けつけてきた係官の涙をしぼった。しかも、この花嫁のごときは、つい半月ほどまえ、十里ほど向こうの村から嫁入ってきたばかりで、要蔵とは縁も由縁ゆ か りもない女であった。

こうして要蔵は一晚村じゅうを暴れまわったあげく、夜明けとともに山へ逃げこみ、ようやくにして恐怖の一夜は明けたのである。

翌日、急報によって近くの町々村々から、おびただしい警官や新聞記者が押し寄せてきたときには、八つ墓村は血みどろになっていた。あちらにもこちらにも血にまみれた死体がころがっていた。どの家からも瀕ひん死しのうめき声が洩もれた。まだ死にきれないで助けを呼んでいるものもあった。


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