そのとき、要蔵によって重軽傷をおわされたものは数知れなかったが、即死したものは三十二人、実に酸さん鼻びを極めた事件で、世界犯罪史上類例がないといわれている。
しかも、山へ逃げこんだ肝心の犯人要蔵はその後ついに行方がわからずじまいである。むろん、警官や消防隊、村の若者たちによって、組織された自警団等によって、付近の山々峰々は隈くまなく捜索された。鍾乳洞もかたっぱしから奥がさぐられた。それらの捜索は幾月も幾月もつづけられた。しかし、要蔵のありかはついにわからずじまいであった。もっとも、かれがかなり後まで生きていたらしい証拠はいろいろ発見されている。牛が射殺されてところどころ肉がもぎとられているのが発見されたのである。(ここいらの牛は、冬じゅう牛小屋につながれているが、春とともに山へ放たれるのである。牛は野草を食って、幾日も幾日も山から山へとさまよい步き、どうかすると鳥取県のほうまで行っていることがある。そして、半月に一度か一月に一度、塩がほしくなるとノコノコ山をくだって、飼い主のもとへもどってくるのである)そしてそのそばに、火薬を爆発させて火をおこし、肉をあぶって食ったらしい痕こん跡せきも残っていた。
このことは、山へ入った要蔵が、自殺する意志など毛頭なくて、生きられるだけ生きようという強い執念を物語っており、村の人たちを新たなる恐怖にたたきこんだ。
要蔵の消息はいまもってわかっていない。いくらなんでも山へ入って二十数年、そんなに長く生きていられるはずがないというのが常識的な判断だが、村人のなかには、頑がん固こにそれを否定しつづけているものも少なくない。しかも要蔵生存説の根拠というのが、かなり滑こっ稽けいなものであった。
あの際、要蔵によって即死せしめられた者は三十二人であった。三十二という数字は八の倍数に当たっている。すなわちあれは八つ墓明神の八つの墓が、四つずつの生いけ贄にえを要求されたのだ。だから要蔵が死んだとすると、生贄がひとつあまるわけだというのである。そして、その説を主張する人は、きまって最後にこう付け加える。
「二度あることは三度ある。田治見の先祖の庄左衛門さんと、こんどの要蔵さんと二度まであんなことがあったからには、いずれまたもう一度、ああいう恐ろしい、血みどろな事件が起こるにちがいない」
八つ墓村ではいまでも子どもが悪くむずかると、懐中電燈の角を生やした鬼が来るぞとおどすのである。すると子どもたちは親からきいた、白鉢巻きに二本の懐中電燈をさし、胸にナショナル.ランプをぶらさげ、兵児帯に日本刀をぶちこみ、片手に猟銃をかかえた鬼の姿を思い出して、いっぺんに泣きやむということである。それは八つ墓村の人たちに、いつまでも残る悪夢だった。
それにしても要蔵逆上に、直接関係をもつ人々はどうしたろうか。不思議なことには、あの際要蔵に殺傷されたのは、たいてい要蔵鶴子の一件に、かかりあいのない人々ばかりで、実際に関係のある人々はおおむね助かっている。
まず、要蔵がもっとも憎んだであろう訓導の亀井陽一だが、かれはその晚、隣村の和尚おしょうのところへ碁をうちに行っていたので、危うく難をまぬがれた。しかし、さすがに村人の思惑を考えたのか、事件の後間もなくどこか遠いところの学校へ転勤していった。
つぎに鶴子の両親だが、かれらは騒ぎをきくといちはやく事情を察して、裏のわら小屋のわらのなかへ身をひそめたので、これまたかすり傷ひとつ負わなかった。
さらにこの騒ぎをひき起こした張本人ともいうべき鶴子親子は、まえにもいったとおり姫路の親戚のもとへ逃げていたので、これまた助かったことはいうまでもない。
彼女は騒ぎがあった後、警察に呼びもどされて、しばらく村へかえっていたが、なんといっても村人の彼女に対する恨みは深かった。彼女さえおとなしく要蔵のきげんをとっていたら、こんなことにはならなかったのに──と、親を失い、子どもを殺された遺家族の憎しみは強かった。
それにいたたまれなくなったのと、もうひとつ、要蔵がひょっとすると、まだ生きているかもしれぬという恐怖に駆り立てられて、鶴子は間もなく、当時二つになっていた子どもを抱いて、村を出奔してそれきり消息がわからなくなった。
こうして二十六年の歳月が流れて、昭和二十×年。二度あることは三度あるという故老の言いつたえのとおり、八つ墓村には、またしても、怪奇な殺人事件があいついで起こったのである。しかもこのたびの事件では、まえの二つの事件のような激情的な突発事件ではなく、妙にネチネチとした、えたいの知れぬ殺人があいついで起こったのだから、八つ墓村はなんともいえぬ、無気味な恐怖のなかにたたきこまれたのであった。
さて、まえおきがいやに長ったらしくなったが、それではいよいよ物語の幕をあけることにしよう。なお、そのまえに断わっておくが、以下諸君の読まれるところのものは、この物語のなかで重要な役割を演じた、関係者の一人が書いたものなのである。私がどうしてこの手記を手に入れたか、それはとくにこの物語の筋に関係がないからここには書かないでおく。