「なあるほど、ラジオというものは効果のあるものですな。こんなに早く反響があろうとは思わなかった」
諏訪弁護士というのは、色の白い、でっぷりと太った、いかにも人柄のよさそうな人物だったので、私もいくらか安心した。私はよく小説などで、悪徳弁護士のことを読んだことがあるので、何かそういうインチキの道具に使われるのではないかと、みちみち不安を感じていたのである。
諏訪弁護士はひととおり、養父のことや私の過去の経歴を聞いたのち、
「それで、その寺田虎造という人ですがね、それはあなたの実父でしたか」
「いいえ、実はその人は、私のほんとうの父ではないのです。私は母の連れ子でした。その母は私の七つのときに亡くなりましたが……」
「なるほど、あなたはそのことを、ずっと昔から知っていましたか」
「いいえ、小さいときには虎造という人を、ほんとうの父だと思っていました。ほんとのことを知ったのは、多分、母の亡くなる前後だろうと思います。いまはっきり思い出せませんけれど……」
「ところで、あなたのほんとうのお父さんですがねえ、その人の名を御存じですか」
「いいえ知りません」
私はそのときはじめて、自分を探しているのは、ひょっとするとほんとうの父かもしれないと気がついて、にわかに胸の高鳴るのを覚えた。
「あなたの亡くなられたお母さんも、あなたの御養父に当たる方も、その人の名をいったことはありませんか」
「いいえ、一度もきいたことはありません」
「お母さんはあなたの幼い時、亡くなられたのだから仕方がないとして、御養父に当たる方は、あなたが成人するまで生きていられたのでしょう。どうしていわなかったのでしょうねえ。まさか御存じなかったわけではあるまいが……」
いまになって考えると、養父の母の愛しかたからして、なにもかもいっさいの事情は知っていたことと思われる。しかし、それを私に話さなかったのは、おそらく話す機会がなかったためであろう。私が家をとび出さなかったら、兵隊にとられなかったら、そして自分が爆死しなかったら、いずれ話すつもりだったのではあるまいか。
私がそのことをいうと、諏訪弁護士はうなずいて、
「なるほどそう承ってみればそうでしょうねえ。ところであなたの御身分ですがねえ。けっしてお疑いするわけではありませんが、何か身元を証明するようなものをお持ちでしょうか」
私はしばらく考えたのち、小さいときから肌身はなさず持っている守り袋を出してみせた。
諏訪弁護士は守り袋をひらいて、例の臍の緒書きを出してみると、
「辰弥──大正十一年九月六日出生──なるほど、これにも名字が書いてないから、あなたはいまだにほんとうの名字を御存じないわけですね。おや、この紙はなんですか」
弁護士がひらいたもう一枚の紙というのは日本紙に毛筆で、地図のようなものが書いてあるのだが、実は私もその地図が、何を意味するのか知らなかった。それは不規則な迷路のような形をした地図で、ところどころに「竜りゅうの顎あぎと」とか「狐きつねの穴」とかいうような、地名ともなんとも、わけのわからないことが書いてある。
そして地図のそばに、御ご詠えい歌かのようなものが書きつけてあるのだが、その御詠歌が地図と何か関係があるらしいことは、歌の中に「竜の顎」とか、「狐の穴」とかいう同じ文句が入っていることでもわかるのである。それにしても私がなぜ、このようなえたいの知れぬ紙片を、後生大事に守り袋の中へ入れて持っているかといえばこれにはひとつのわけがある。
母がまだ生きていたころのことである。ときどき彼女はこの地図を出させて、じっと見ていることがあった。そんなとき、いつも沈んだ顔色をした母の面に、ボーッと朱がさして、瞳ひとみがきらきらとうるむのであった。そして最後にきまって、ホーッと深いため息をつきながら、こんなことをいうのであった。
「辰っちゃん、この地図はね、大事に持っているんですよ。けっしてなくするんじゃありませんよ。いつかこの地図が、あんたを仕合わせにしてくれることがあるかもしれない。だから、けっして破ったり、捨てたりしちゃいけませんよ。そしてね、このことはけっしてだれにもしゃべらないように……」
私は母の言葉を守って、いつもこの地図を肌身はなさず持っているのだが、ほんとうをいうと、幼いころとちがって、二十を過ぎる時分から、この一枚の紙片に、そんないやちこな霊験があろうなどとは、だんだん考えなくなっていた。それにもかかわらず、破りもせずに持っているのは、一種の惰性みたいなもので、別に邪魔になるわけでもないので、とにかく持っているのであった。
だが、私はまちがっていたのだ。この地図こそは私の運命に、なんとも名状することのできない大きい影響を持っていたのだ。だがそのことについては、もっとさきで詳しくお話しする機会があるだろう。
諏訪弁護士もとくにこの地図に興味を持っていたわけではなかったとみえて、私が無言のままひかえていると、ていねいに畳んで、もとどおり守り袋にかえした。
「いや、これでだいたいまちがいのないことがわかりましたが、念には念を入れよということもありますから、最後にもうひとつ、私のお願いをきいていただきたいのですが……」私が怪け訝げんそうに顔を見ていると、
「実は、あなたに裸になっていただいて、体を見せてもらいたいのですが……」
私はそれをきいたとたん思わず火の出るほど真っ赤になった。