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八墓村-第一章 尋ね人(5)
日期:2022-05-31 23:59  点击:215

「ええ、そうよ、年齢はさあ……田舎のひとの年齢って、あたしにはよくわからないわ。それにね、その人合トンビの襟えりを立て、黒眼鏡をかけ、帽子をまぶかにかぶってるんでしょう? 顔だってよく見えなかったわ。あたし、なんだか気味悪かったけれど……」

「それで、どんなことをきいていったんです」

「おもにあなたの品行や性質のことよ。酒を飲むかだの、ときどき気ちがいみたいに暴れ出すようなことはないかだの……」

「気ちがいみたいに暴れ出す……? 妙なことを尋ねたものですね」

「ええ、あたしも変に思ったわ」

「それであなたはどう答えたのです」

「むろん、そんなことはありませんと太鼓判をおしておいたわ。とても気のやさしい、思いやりの深いかただといっておいたわ。それにちがいありませんものね」

細君のお世辞にもかかわらず、私はなんだか不快な感じを払拭ふっしょくしきれなかった。

弁護士が手をまわして、私の身元を調査しようというのはうなずける。また、そのついでに私の性癖を調べておこうというのもわからぬことではない。酒を飲むか、煙草を吸うかというような質問は、品行をしらべる場合、だれでも持ち出す問題である。しかし、ときどき気ちがいのように、暴れ出すことはないかという質問は、いささか突飛すぎるように思われる。いったいその人は、私の性質のなかから、何を探り出そうとしているのだろうか。

ところがそれから二、三日たって、私は会社の人事課長からまた同じような注意をうけた。会社へ来たのも、宿へ来たのと同じ人物らしく、帽子をまぶかにかぶり、黒眼鏡をかけ、合トンビの襟を立てて、妙に顔をかくすようにしていたそうである。そして、ここでも同じように、ときどき兇暴な発作におそわれて、暴れ出すようなことはないかと尋ねたというのだ。

「ひょっとすると、きみの知らないお父さんというのは、飲酒癖があって、飲むと暴れ出すくせがあるのかもしれないね。そういう悪い遺伝がきみにありゃしないかと、それを心配しているんだよ。なあに寺田君にかぎってそんなことは絶対にありませんといっておいたから安心したまえ」

かねてから私の落胤説をきいている人事課長は、そんなことをいってのんきに笑っていたが、私はそれどころではなかった。どすぐろい不安と不快の影は、いよいよ色濃くなるばかりだった。

もし諸君が二十七歳にして、おまえの体内には気ちがいの血がながれているぞといわれて見たまえ。どのように大きなショックを感ずるか。──むろん私はまだはっきりとそう指摘されたわけではない。しかし私のことを尋ねている人物は、間接にそれを私に覚さとらせようとしていると思われぬこともない。いや、私に覚らせるのみならず、世間にむかって吹聴しているようなものだ。

私はなんとなくいらいらとした気持ちになった。こんな中途半端な気分でいるよりは、いっそこちらから諏訪弁護士のところへ出向いていって、ききたいことがあるならば直接なんでもきいてほしいといってやろうかと思った。しかし、そうするのもなんとなく、さもしいような気がするので、ぐずぐずと決心をつけかねていると、そこへ飛びこんだのが、あの気味の悪い手紙なのだ。

それははじめて諏訪法律事務所へ出向いた日から数えて十六日目のことであった。いつものようにあわただしい朝飯をすませて出勤の身支度をしていると、

「寺田さん、あなたへお手紙よ」

と、表のほうから友人の細君が呼ぶのがきこえた。私はそれをきくと、すぐ諏訪弁護士のことを思いうかべはっと胸をとどろかせた。それというのがその時分、弁護士からの便りを今日か明日かと待ちこがれていたせいもあるが、もうひとつには、私には手紙をくれるような親戚や友人はひとりもいなかったからだ。

ところがさてその手紙を手にとってみて、私は少なからず妙な気持ちがしたことだ。

それはまるで、便所のおとし紙のようにどすぐろい色をした、粗悪な漉すき直しの封筒で、かりそめにも日東ビルの四階に、事務所を持っている、弁護士などの使うべき品とは思われなかった。おまけにあて名の文字も子どものように下手クソで、ごていねいにもところどころ、ボタボタとインキがにじんでいる。裏をかえしてみると差出人の名前もなかった。

なんとなく怪しい胸騒ぎを感じながら、私は急いで封を切ったが、するとなかから出てきたのは、これまたおとし紙のような安物の便びん箋せんで、そこには表書きと同じようにインキのにじんだ下手クソな字で、つぎのようなことが書いてあるのだ。

 

八つ墓村へかえってきてはならぬ。おまえがかえってきても、ろくなことは起こらぬぞ。八つ墓明神はお怒りじゃ。おまえが村へかえってきたら、おお、血! 血! 血だ!二十六年まえの大惨事がふたたび繰りかえされ八つ墓村は血の海と化すであろう。

 

いっとき私は放心状態におちいっていたにちがいない。若い細君の呼ぶ声が、はじめのうち、どこか遠いところからきこえてくるような気持ちだったが、そのうちやっと現実世界にひきもどされると、私はあわててその便箋を封筒におさめ、ポケットのなかへ突っ込んだ。

「寺田さん、どうかなすって? その手紙になにか変わったことでも書いてあって?」

「いや、別に……どうしてですか」

「だって、あなたのお顔、真まっ青さおよ」

細君はさぐるように私の顔を見ていた。



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