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八墓村-第一章 尋ね人(8)
日期:2022-05-31 23:59  点击:220

「いや、あなたはなかなか鋭い頭脳を持っていらっしゃる。そう、そのことは将来、あなたの身に重大な関係を持ってくるかもしれませんから、ここで一応お話ししておきましょう。しかし、このことは絶対に他言無用ですよ」

こう念を押しておいて、弁護士が語ってきかせた事情というのはこうである。

私の父の要蔵には修二という弟があったが、これは母の実家をつぐために、早くから家を出て里さと村むら姓を名乗っている。この里村修二さとむらしゅうじには慎しん太た郎ろうという息子があったが、軍人を志望して少佐になっていた。戦争中は参謀本部づきかなんかでたいへん幅を利かせていたが、終戦と同時に尾お羽は打ち枯らして郷里へかえり、いまでは失意の身で百姓のまね事のようなことをやっている。年齢は三十六、七だが、まだ独身で妻も子どももない。しかし軍人だっただけに体はいたって頑がん健けんである。したがって、いまもし久弥や春代にもしものことがあれば、田治見の財産は当然、慎太郎のふところへころげこむわけだが。……

「どういうものか、あなたの大伯母というひとたちが、慎太郎というひとを好まないのです。いや慎太郎という人のお父さんの修二さん、この人はもうとっくになくなっているのですが、その人を昔から好まなかった。そのきらいな人の子どもであるのみならず、慎太郎という人は幼いときから村を出て、めったに帰郷したこともないから、まるで赤の他人も同然なのです。そういう感情は二人の御老婆のみならず、久弥さんにしても春代さんにしても同様だから、そこできらいな慎太郎氏に跡をとられるくらいなら、いっそあなたを探し出して……と、いうのがまあ、打ちあけたところ、田治見家のひとたちの真意のようです。さあ、これでだいたい私の役目はすみましたから、あとはゆっくり御老人におききくださるんですな。では私はちょっと中座しますから……」

私の心は急に重くなってきた。少なくともここにひとり、私の帰村をよろこばない人物があるわけだ。そのことと今朝受け取った無気味な警告状のことを思いあわせると、忽こつ然ぜんとして私は、真相の一部に突きあたったような気持ちだった。

弁護士が立ち去ったあと、私たちはずいぶんながく黙りこくっていた。事実は小説や芝居のようなわけにはいかないのだ。いかに肉親とはいえ、そうにわかに打ちとけられるものではなく、いや、肉親であればあるだけぎこちなさが先に立って、お互いにそらぞらしい言葉はつかえないのだ。

……と、私はそのとき、祖父があんなにもながく黙りこくっているのを、そんなふうに解釈していたのだが、いずくんぞ知らん、事実はそればかりではなく、祖父はあのとき内臓をむしばまれていく苦痛に、口をきくことすらできなかったのだ。

私は祖父の額にねっとりうかんだ脂汗を、不思議そうに見守りながら、思い切ってこちらから口をひらいた。

「お祖じ父いさん」

祖父はちらりと眼を動かしたが、言葉は出ずに、きっと食いしばったくちびるがわなわなとふるえていた。

「私の生まれた村は八つ墓村というのですか」

祖父はかすかにうなずいた。くちびるからは一種異様な呻うめき声がもれたが、それでも私はまだ気がつかなかった。

「それだとお祖父さんに見ていただきたいものがあります。今朝私は妙な手紙を受け取ったのですよ」

私はポケットから手紙を取り出すと、中身だけ抜き取って祖父のまえにひろげて見せた。祖父はそれを取ろうとして手をのばしかけたが、急にがっくりまえにのめった。

「あ、お祖父さん、どうしたのですか」

「辰弥……水を……水を……」

それが直接、祖父が私にむかって口をきいた、最初であると同時に最後でもあったのだ。

「お祖父さん、どうしたのです。気分でも悪いのですか」

私はあわてて例の手紙をポケットにねじこむと、デスクのうえにあった土ど瓶びんをとりあげたが、そのとき、祖父をおそったはげしい苦く悶もんの痙けい攣れんとともに、絹糸のような血の一筋が、祖父のくちびるのはしから流れ出すのを見て、私は思わず悲鳴をあげて人を呼んだ。

 

美しき使者

 

それから十日あまり、私はわけのわからぬ激しい渦うずのなかに立たされていたものだ。二十七年間の私の生涯は、戦争という一事をのぞいては、だいたいにおいて退屈な灰色に塗りつぶされていたのだ。ところが、あの尋ね人という一件が、ポトリと、灰色の人生のうえに、一滴の朱をおとしたかと思うと、その朱のいろは、みるみるうちにひろがって、やがて私の生活を真っ赤に塗りかえていったのだが、思えばあの十日間こそ、最初の朱のひろがりであったろう。

最初私は祖父の死を、漠ばく然ぜんと持病の発作かなんかであろうと思っていた。ところが駆けつけてきた医者がまず死因に疑いをいだき、警察に報告したところから、俄然騒ぎは大きくなった。

死体はすぐに県立病院へうつされ、そこで警察の嘱託医によって慎重に解剖されたが、その結果、ある劇烈な毒による中毒死ということが判明するに及んで、私の立場はにわかにむずかしくなってきた。

警察がまず疑いの眼をむけたのも無理のないところで、私こそ、祖父と最後の数分間をいっしょに過ごした、ただ一人の人物だったからだ。聞くところによると、私が事務所へやってくるまで、祖父は三十分ほど諏訪弁護士と対談していたそうだが、そのあいだなんの異状もなく、また、私がやってきてから約十分間、祖父の様子にはとりたてて変わったところも見受けられなかった。変わったところがなかったからこそ弁護士も安心して、私たちをのこして中座したのだ。ところが、弁護士が立ち去ってから間もなく苦悶をはじめ、やがてもがもがき死じにに死んだというのだから、だれが考えても、私が一服盛ったとしか思えなかったのも当然だろう。


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