「それじゃぼくがかえるということは、村じゅうに知れわたっているんですね」
「そりゃ……都会とちがって田舎では、秘密にことを運ぶなんてことは、なかなかできないものなんですよ。いつしかどこかから漏れて……いったん漏れるとすぐ村じゅうに知れわたってしまいます。でも、そんなことあんまり気になさらないほうがいいと思うわ。どうせ都会のものが田舎へ来れば、いろんなことをいわれるものです。わたしだって、この年になって独身者でしょう? だからかげではずいぶんひどいことをいわれてるらしいんだけれど、そんなこといちいち気にしてちゃきりがないから、柳に風と受けながすことにきめているの。ほんとに田舎ってうるさいものね」
「しかし、美也さんと寺田君は立場がちがうから……美也さんのいうような感情のしこりが村にあるとすると寺田君の村入りにゃ、これゃ相当の勇気と覚悟がいるわけだね」
私はまた、鉛のように重っ苦しい圧迫を、腹の底に感じたが、しかし私という人間は日ごろはいたって弱気なくせに、最後の土壇場になると、自分でも不思議に思うほどの勇気が出てくる性分なのだ。私はおそいかかる不安と危き懼ぐを払いのけるようにして、強しいて静かにこういった。
「いや、いろいろのことを教えていただいてありがとうございました。諏訪さんのおっしゃるとおり、ぼくにとってはこれは非常な重荷です。しかし、これだけのことを伺っておけば、ぼくみたいなものでも、いくらか覚悟ができるような気がします。ところで森さん」
「はあ……」
「いろいろなことを尋ねるようですが、もうひとつ、ぜひともお尋ねしたいことがあるのですが……」
「はあ、どういうことでしょうか」
「村の人全体がぼくを憎んでいるとしても、その中に特別に、ぼくを憎んでいるというような人にお心当たりはないでしょうか。ぼくを村に入れたくない。ぼくを村から遠ざけておきたいと思っているような人に……」
「さあ……どうしてそんなことをおたずねになりますの? それに村の人全体が、あなたを憎んでるなんてことはありませんのよ。そんなふうに大げさにお考えにならないように。さっきのあたしの話が、そんなふうにとれたとしたら、訂正しておかねばなりませんわ」
「どうしてぼくがこんなことお尋ねしたかというと、実はわけがあるのです。見てください。いつかこんな手紙がぼくのところへ舞いこんだんですよ」
私が出してみせたのは、いつかの日、そうだ、忘れもしない祖父の丑松が毒殺された朝、私のもとへ舞いこんだ、あの無気味な、警告状めいた手紙だった。諏訪弁護士と森美也子は、それを見ると大きな眼をみはって顔を見合わせた。
「ねえ、森さん、そこに書いてあることと、こんどの祖父の事件と、何か関係があるのではないでしょうか。だれかがぼくを村から遠ざけるために、だれかがぼくを村へ近づけたくないために、何か恐ろしいことをたくらんでいるのではないでしょうか」
さすがに美也子も蒼あおざめて、すぐには私の問いに答えなかった。諏訪弁護士も眉まゆをひそめて、
「なるほど、こんな手紙を書いたやつがあるとすると、井川のじいさんを殺したのも、何かよほど深い根底があるとみなければなりませんね。美也さん、きみに心当たりない?」
「さあ……」
「慎太郎君はどうだね。あんたは東京にいる時分から、あの人を知っているんだろう。何かこう、こんなことを思いつきそうな人物じゃないかね」
「まさか……」
言下に打ち消しはしたものの、その瞬間、美也子の頬ほおからさあーっと血の色があせていって、くちびるがかすかにふるえているのを、諏訪弁護士も私も見逃すことができなかった。
「慎太郎さんというのは、私のいとこだとかいう……」
「そう、もと少佐だった人ですね。美也さん、きみ何か思い当たるところがあるのじゃない?」
「そんなこと……そんなこと……思い当たるなんてそんなこと……絶対にありませんわ。でも、あたしにはわからないわ。あの人すっかり変わってしまって……昔はあんなに威勢のいい人だったのに、ちかごろではまるで爺じじむさくなってしまって、村へかえってから、ろくに口をきいたこともありませんもの。いいえ、あたしばかりじゃありませんわ。おそらく村の人たちで、あの人と親しく口をきいた人は一人もないでしょう。ええ、それほどあの人は人間ぎらいになってしまって……だから、あの人が何を考えているのか、どんなふうな気持ちでいるのか、あたしにも見当がつきません。でも……でも……まさかそんな恐ろしいたくらみのある人とは思えませんわ。昔のあの人の気性からしても……」
美也子の言葉をきいていると、口では一応慎太郎のために弁護しているみたいだったが、それがしだいに混乱していくところをみると、彼女もまた、何か思いまどうているらしかった。つまり理性のうえでは否定できても、何かしらその底に、感情的に否定できぬ何物かがあるのではあるまいか。そしてそのことがいつまでも、私の胸に疑惑の影をおとしたまま消え去らなかった。
里村慎太郎──その人こそは八つ墓村でも、もっとも私の帰郷を好まぬ、強い動機を持っているべきはずの人物ではないか。そのことと、いまの美也子のあやしい混乱ぶりを私はふかく胸に彫りつけておこうと考えた。
旅立ち
六月二十五日──われわれが八つ墓村へ出発する日は、雨あめ催もよいのうっとうしい梅雨空で、そうでなくてもこんどの旅立ちに、気き後おくれみたいなものを感じている私を、いっそう重苦しく圧迫した。正直のところ、三宮さんのみや駅で発車の時刻を待っているあいだ、私は気がめいりこんでしようがなかった。駅まで送ってくれた諏訪弁護士も、妙に沈んだ顔色で、