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八墓村-第二章 疑惑の人(3)
日期:2022-06-05 23:59  点击:297

「寺田君、気をつけたまえよ。めでたい旅立ちの門出に、不吉なことはいいたくないが、私もなんだかこんどの尋ね人の一件が表面にあらわれている意味だけではないような気がしてならなくなったのだ。何かしらその裏にわれわれの思いもよらぬ深い意味がかくされているのではなかろうか──と、そんな気がしてならないのだ。お祖父さんの死に方といい、あの奇妙な警告状といい、それにきみの性行をきいてまわっている男といい……私はなんだか胸騒ぎがしてならないのだ」

私の性行を調べてまわっている男というのは、いつか友人の細君や、会社の人事課の課長からきいた人物のことである。念のためにこのあいだ私はそのことを、諏訪弁護士にきいてみたのだが、果たしてあれは諏訪弁護士の部下ではなく、かえってそのことがひどく弁護士を驚かせたらしかった。

「それはね、私も依頼者に対する責任上、一応きみの身持ち品性を調べさせましたよ。しかし、それがすぐきみに、筒抜けになるような下手な調べかたはしやしない。ふうむ、するとわれわれのほかに、だれかきみのことを調べている人物があるというのだね。そして、その人は田舎の人らしかったというんですね。美也さん。きみに何か心当たりはない?」

「さあ……」

美也子もたいへん驚いたらしく、美しい眉をひそめていたが、結局、だれがなんのためにそんなことをするのか見当もつかないという返事で、彼女自身もこの事実には、ひどく動転しているらしかった。

諏訪弁護士がいい出したのはそのことだった。

「ねえ、寺田君、人間て妙なものだね。ひと月まえまできみとぼくとは、赤の他人というもおろか、お互いにその存在すら知らぬ仲だった。ところがあの尋ね人の一件が二人を結びつけ、しかもかわるがわる同じ殺人事件の容疑者にされてからというもの、ぼくはなんだかきみが他人でないような気がしてならなくなったのだ。変なことをいうようだが、きみに深い親愛の情を覚えはじめているのだよ。だから向こうへ行ってね、何か困るようなこと、他人の助力が必要なことが起こった場合には、遠慮なくぼくのところへ言ってきてくれたまえ。何をおいても駆けつけてあげるからね」

諏訪弁護士のこの親切な申し出は、私の心をえぐらずにはおかなかった。雨とも風ともわからぬ未来へむかって旅立とうとするその朝の私は、少なからず感傷的な気分になっていたのだ。私はのどをつまらせて、ただ、黙って頭を下げるよりほかに方法を知らなかった。

私たちのなかでいちばん元気だったのは美也子である。その朝彼女は身軽な旅行服に、派手なグリーンのレーンコートを着ていたが、大柄な彼女にはそれがぴったり似合って、うっとうしい雨催いのプラットフォームに、パッと美しい花がひらいたようであった。

「あなたがた、何をいってらっしゃるの。寺田さんの身に何かまちがいが起こるときまってでもいるように……馬鹿らしいわ。なんでもありゃしないのだわ。わかってみれば、なあんだ、そんなことだったかというようなことになるにきまっているわ。それに、よしんば……」

と、美也子はそこでクルクルと悪いた戯ずらっぽく眼玉を回転させると、

「何か起こったところで、あたしというものがいることを忘れないでちょうだい。あたし、これで強いのよ。負けるの大きらい、男にだってだれにだって……だから、あんまりくよくよしないほうがいいのよ。なるようにしかならないのだから……」

「ふむ、まあ、美也さんにまかせておけば大丈夫だろうがね」

諏訪弁護士も苦笑いをしていた。

やがて発車の時間が来たので、私達は車中の人となり、そして、諏訪弁護士と別れたのである。

前途にさまざまな不安や危懼を持ちながら、一方私はやっぱりこの旅行を楽しいと思わざるを得なかった。人にはそれぞれ体臭というものがある。体臭の強い人もあれば弱い人もある。また魅力のある体臭もあれば、いやな体臭もある。美人でもいっこう人をひきつけない体臭の持ち主もあれば、それほどの容姿でもないのに、ひどく人の心をそそるような体臭を持っている人もある。パーソナリティーというのであろうか。美也子は美人である。しかもなおそのうえに魅力ある体臭を非常に多分に発散する女であった。

彼女は姐あね御ご肌はだ……あるいは姐御肌にふるまうのが好きな性分らしい。したがって、人からものを頼まれたり人にすがられたりするのを好むようである。この数日の浅い交際であったが、彼女ははじめから私の保護者をもって任じているらしく、姉が弟にあたえるようなこまごまとした注意をするかと思うと、いよいよ旅立ちときまると、パッパッと派手な金の使いかたをして、私の旅装をととのえてくれたりした。

「いいのよ、何も心配することはないのよ。これみんな、あなたの大伯母さまがたからあずかってきたお金なんですもの。田舎では第一印象が何より大切なのよ、それにこちらがへりくだっていちゃ、図に乗って馬鹿にするわ。服装にしろ態度にしろ、ハッタリをきかさなきゃだめなのよ。あなた、おどおどしてちゃだめよ」

私は鼻面をとってひきずりまわされているような感じのうちに、なんともいえぬワクワクするような快感にうかされていたのだ。彼女の強い体臭に酔わされていたのだ。

さて、この汽車のなかで私ははじめて、美也子の身の上話をかなり詳しく聞くことができた。八つ墓村には私の生まれた田治見家のほかに、もう一軒野村家という分ぶ限げん者しゃがあることはまえにもいったが、美也子はこの野村家の当主荘そう吉きちの義妹にあたるのである。つまり荘吉の弟の達たつ雄おという人が、彼女の夫だったということである。


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