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八墓村-第三章 八つ墓明神(12)
日期:2022-06-06 06:25  点击:242

奇怪な仏参

 

私には幼い時分から妙な癖があった。いや、癖というより病気といったほうが当たっているのかもしれない。

それは非常につかれたときとか、または、試験やなにかで、神経を使いすぎたときに起こる現象で、夜、寝床へ入って、うっとりしかけたと思うと、ハッと眼をさます。しかし、それはほんとうに眼がさめるのではなくて、知覚だけは半分さめながら、運動神経はまだ完全に眠っているのである。

そういうときの恐ろしさ、心細さは、実際、その経験を持ってるものでないとわからないであろう。私の知覚はさめている。自分の周囲になにがあるか、どういうことが起こりつつあるか、おぼろげながら意識している。それでいて、運動神経は、完全に麻ま痺ひしていて、手脚を動かすことはおろか、口をきくことさえできないのだ。口をきこうにも、舌の根がこわばって、満足な言葉をつづることができないのだ。つまり、完全な、かなしばりの状態におちいるのである。

その夜、私がハッと眼をさましたとき、ちょうどそういう状態にあった。

私は座敷のなかに、なにやら異様な気配、……つまり、私以外の人間がいて、その人間のかもし出す空気の動揺や、押しころしたような息づかいを、身をもって感じていた。いや、そのまえに、たしかに電気を消して寝たはずの室内に、不思議な微光のただよっているのを、閉じた瞼のうらに、ハッキリと感じていた。それでいて、私の体は、どうにもならなかったのだ。全身の運動神経がストライキを起こしていて、完全にかなしばりの状態におちいっていたのだ。

私はなんともいえぬ恐ろしさに、全身から熱湯のような汗がふき出すのをおぼえた。声を出して叫ぼうと思うが、例によって、舌がこわばって言葉が出なかった。手脚を動かして、寝床の上に起き直ろうとするが、全身が布団のなかに糊のり付づけされたみたいに動かなかった。せめて、瞼を開こうとしても、上の瞼と下の瞼が、ピッタリと膠にかわづけにされたようにくっついて離れなかった。おそらく、こういう様子を外からみると、仮死の状態にちかいものと見えたであろう。

室内にいる何者かは、こういう私の状態に安心したのか、じりじりと寝床のほうへ這はいよってきた。そしていくらかためらいながら、それでもとうとう、枕元まで這いよると、じっと上から、私の顔をのぞきこんだ。いや、のぞきこんだのが感じられたのだ。

しばらく、そのものは、私の枕元に座ったまま、身動きもしなかった。呼吸をこらして、私の顔を見つめているようであった。やがて、しだいに息使いがあらくなった。ハッハッと、せぐりあげるような熱い息吹きが私の顔をうったかと思うと、そのうちに妙なことが起こったのだ。ボタッと、何やら熱いものがひとしずく、私の頬っぺたに落ちたのである。

涙だ!

私は思わずギョッとして、一瞬、大きく息を吸ったが、相手も驚いたらしく、あわてて身をひいて、しばらくじっと、私の様子をうかがっていた。それから、また、安心したように、膝をにじり出した様子であったが、なにを思ったのか、急にギョッとうしろへとびのいた。そして、しばらくあらっぽい息使いをしながら、じっと身動きもしないでいたが、にわかにソワソワ立ち上がった。

そのとたん、私のかなしばりは半分解けた。さきほどから、必死となってたたかっていた、上の瞼と下の瞼の膠づけが、そのときやっと解けたのだ。

私はかっと眼を見開いたが、そのとたん、ゾーッと全身を、電波のような恐怖がつっぱしった。

三酸図屏風のまえに、だれやらひとが立っている。向こうむきに立っているので、背中だけしか見えなかったがそれはまるで屏風にかかれた、仏印和尚がぬけ出したような姿であった。

私ははっと、いつか姉の春代からきいた話を思い出した。

いつかこの座敷へ泊まった、山方の平吉も、屏風の絵がぬけ出したのを見たという。……

私はもっとよく、その正体を見極めようとして瞳を見はったが、そのとたん、いままで室内にただようていた不思議な微光がフーッと消えて、あやしい姿は、屏風に吸いこまれたように、闇のなかに消えてしまった。

私は渾こん身しんの努力をもって、あの呪のろわしいかなしばりとたたかった。私にゆるされている唯一の運動である呼吸を、できるだけ強め、その反動によって、反射的に起きなおろうとした。ときどき私は、それに成功して、かなしばりを解くことができるのである。

だが、その努力がまだ成功しないうちに、私はまた、ハッと呼吸をこらさねばならなかったのだ。十五間の長廊下をふんで、だれかこっちへやってくる。……

ひたひたと、猫のように柔らかな足音、さやさやと、しずかな衣きぬ摺ずれの気配。……やがてその足音と衣摺れの音は、お錠口をとおって、離れの縁側へやってきた。そして、私の寝ている座敷のまえまでくると、ピタリと障子の外にとまって、そのまま、しばらく動かない。

私はまた、瞼を閉じて、じっと呼吸をこらしている。心臓がガンガン躍って、額にジリジリと脂汗がにじんでくる。

一瞬、二瞬……

やがてしずかに障子のひらく気配がするとほのかな微光とともに、だれやらそっと、座敷のなかへ入ってきた。しかも、それはひとりではなくふたりである。私はそっと薄眼をひらいてそのほうを見たが、そのとたんなんともいえぬ変てこな感じにうたれたのである。



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