このときふいに一座の中から、鋭いうめき声がもれたので、私たちははじかれたようにそのほうをふりかえった。慎太郎だった。慎太郎ははげしく身ぶるいをし、おびえたように眼をとがらせながら、とめどなく流れる汗をぬぐうていた。
私が静かに声をかけた。
「あの晚、──濃茶の尼が殺された時、私はあなたが庵室のほうから坂をおりてくるのを見たのですよ。そのときのあなたのものすごい形相から、尼を殺したのはてっきりあなただと思いこんだのですが、そうでなかったとすると、ひょっとするとあなたはあの晚、美也子さんの姿を庵室の付近で見られたのではないのですか」
こんどは私のほうへ一同が、はじかれたようにふりかえった。警部はふふむと不満らしく鼻を鳴らした。慎太郎がくらい眼をしてうなずいた。
「そうです、美也子を見たのです。しかし、それが美也子だったといいきる自信はなかった。美也子はそのとき男装していたし、ほんのちらと見ただけですから。むろん相手は私に見られたことに気がつかなかった。しかし、とにかく美也子らしい人物が、庵室から出てきたので、不思議に思って中をのぞいてみたのです。そして、あの死体を発見したんですが、どう考えても美也子があの尼を殺す理由はないと思ったものですから、とにかく黙っているにしくはないと思っていままでだれにもいわなかったのです。そうですか。辰弥君が見ていたんですか」
慎太郎は流れる汗をぬぐった。警部がまたはげしく鼻を鳴らし、怒りにみちたまなざしを、私たちふたりにそそいだ。
金田一耕助がそれをとりなすように、
「まあまあ、あなたがたがそれらのことを、私たちに告げなかったというのは、なんといっても非難されるべきことですよ。いまさらいってもしかたのないことですがね。あのとき、濃茶の尼を殺したのは、なんといっても私たちの手抜かりでした。ぼくはまさか犯人が、そこまで実行力があるとは思わなかった。実際また、濃茶の尼に証人としてどれだけの価値があるか疑問だったのです。ことにあんな小さな紙片ですから、そんなもの見なかったといっても、それにどれだけの信頼性があるかわからなかったんです。しかし、犯人はそういうふうには考えなかったんですね。危険な存在は先手をうって殺してしまう。実際、恐ろしいやつですが、考えてみればそれがいちばん安全な方法なんですね。さて、このことによって私の頭脳には、森美也子というものの映像が、急にクッキリとうかびあがってきた。いままでは西屋の御主人の、とりとめもない疑惑の対象でしかなかった美也子さんの行動の中から、ぼくははじめて疑惑の裏付けとなりそうな事実を、発見したわけです。ところが困ったことに、それと同時に久野先生が、にわかに疑惑の対象として浮かびあがってきたことです。しかも美也子さんよりはるかに強い疑惑の対象として……」
「そうだ、いったい久野先生は……」
と、そのときはじめて口をひらいたのは、新居先生であった。
「この事件でどういう役割をしめておられたのですか。あの奇妙ないたずら書きは、ほんとうに久野先生が書かれたものですか」
そういう新居先生の顔を見返す金田一耕助の瞳には、一種異様なかがやきがあった。まるでいたずら小僧のような微笑をうかべて、
「そうですとも、あれはたしかに久野先生の書かれたものです」
「しかし、久野先生はなんだって……」
「まあ、お聞きなさい、新居先生。こんどのこの奇妙な一連の殺人事件の最初の立案者は、実に久野先生なんですよ。そして久野先生がなぜこんな奇妙な計画をたてたかというと、その原因は実に新居先生、あなたにあるんですよ」