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ゴムマリとミシン針
日期:2022-08-09 11:00  点击:360

ゴムマリとミシン針


 春のはじめの、ある日曜日のおひるすぎのことでした。
 一太郎君のお母さんは、八畳のお部屋の縁側に近い明るい所へ、モーターつきの、ミシン台を持ち出して、一太郎君のシャツをぬっておられました。足ぶみのミシンではありませんから、坐っていてお仕事が出来るのです。
 一太郎君は日当りのよい縁側に足をなげ出して、お母さんとお話をしていました。
 縁側の前は広いお庭で、沢山の立木の向こうに板塀が見えています。その塀のむこうの空地で、近所の子供たちが、マリ投げをして遊んでいる声がきこえていました。みんな一太郎君のお友達です。
 突然、子供たちの「アッ」という声がきこえたかと思うと、お庭の木の葉が、ガサガサと鳴って、どうやらゴムマリがお庭の中へおちたらしい様子です。
 一太郎君はマリを拾って、塀の外へなげ返してやろうと思って、縁側から庭下駄をはいておりて行きました。そして、塀の近くの立木の下をさがしていますと、玄関の方から、
「マリをとらせて下さい」
 と叫んでいる子供たちの声がきこえて来ました。
 一太郎君は表の方からお庭へ入る枝折戸(しおりど)のところへ行って、それを開きながら、
「ア、賢ちゃん広ちゃんだね。君達も入ってマリをさがすといいや。なかなかめっからないんだよ」
 と、二人の少年をお庭へさそい入れました。
 そして、三人づれで立木の下をしばらくさがしまわっていましたが、やがて、賢ちゃんという子供が、
「アッ、ここにあった。こんな穴の中へおちていたんだよ」
 と、云って塀ぎわの地面を指さしました。
 それは、ゴムマリよりもちょっと大きいぐらいの広さで、一米もあるような深い穴でした。少し前までは、そこにお庭を照らすための電燈の柱が立っていたのですが、電気節約のために、それをやめて、柱をぬかせてしまった、そのあとの穴なのです。
 賢ちゃんは地面に腹這いになって、右手を肩のへんまでその穴の中へ入れて、マリを取ろうとしましたが、穴が深くて、指がマリにとどかないことがわかりました。
 一太郎君も同じようにして、ためして見ましたが、やっぱりとどきません。
 それを見て、広ちゃんという子供は、お庭の隅から細い竹切れを二本見つけ出して来ました。その二本の竹を(はし)のようにして、マリをはさみ出そうというわけです。
 三人は、かわるがわる、その竹切れを使って、いろいろやって見ましたが、穴がせまいので、どうしてもマリをはさみ出すことが出来ません。
 三人は困ってしまって、穴のそばに突立ったまま、しばらく顔見合せていましたが、やがて賢ちゃんが、
「シャベルで穴を掘りひろげるより仕方がないね」
 と云い出しました。
 一太郎君はそれに答えず、何か考え込んでいましたが、ハッと名案がうかんだらしく、生き生きした顔になって云いました。
「シャベルなんか使わなくても、いいことがあるよ。バケツに一ぱいの水があれば、このマリは、わけなく取出せるんだよ」
「エッ、バケツに一ぱいの水だって?」
 賢ちゃんも広ちゃんも、びっくりしたように聞き返しました。智恵の一太郎がまた妙なことを云い出したなと、目をぱちくりやっています。
「そうだよ。バケツに一ぱいの水だよ。わからないかい。マア、見ててごらん。今、マリを取出して上げるから」
 そう云いすてて、一太郎君は裏庭の方へかけ出して行きましたが、しばらくしますと、バケツの中へ、一ぱい水をくんで帰って来ました。
「サア、いいかい。見ててごらんよ」
 一太郎君は、アッケにとられている二人の前で、そのバケツの水を、深い穴の中へザーッと流しこみました。
 するとどんなことが起ったでしょう。読者諸君はもうとっくにおわかりでしょう。バケツの水が流れこむにつれて、せまい穴の中の水かさは、だんだんまして来るのです。おしまいには穴の口のすぐ近くまで、水で一ぱいになってしまいました。ゴムマリは水よりも軽いのです。穴が水で一ぱいになれば、マリは穴の入口のところまで浮上ってくるわけではありませんか。
 賢ちゃんは、なんなく浮上ったマリを拾い取りました。そして、広ちゃんと二人で、さも感心したように、一太郎君の顔をながめるのでした。
「やっぱりえらいや。ねえ、広ちゃん」
「ウン、智恵の一太郎だもの」
 そして、二人の少年は、口々に「ありがとう」「ありがとう」とくり返しながら、枝折戸を出て行きました。
 一太郎君が二人を見おくって、縁側にもどって来ます、とお母さんはミシンをとめて、ニコニコしながら、こちらを見ておいでになりました。
「一太郎さん、うまく考えたわね。お母さんもすっかり感心してよ」
 と、ほめて下さいましたが、なぜか、そのままそばの火鉢の中をのぞきこんで、火ばしでしきりと灰をかきさがしていらっしゃるのです。
「お母さん、どうしたの。火鉢の中へ何かおとしたんですか」
 一太郎君がたずねますと、お母さんはちょっときまりが悪いような顔をして、
「エエ、あんたたちの方へ気をとられていたもんだから、ミシンの針を取りかえようとして、それを灰の中へおとしてしまったのよ」
 マリが穴の中へおちたかと思えば、今度は針が灰の中へおちたのです。妙に面倒な場所へ物の落ちる日です。マリの方は大きいものですから、取出すのにわけはありませんが、灰の中へ細い針がおちたのでは、容易に探し出せるものではありません。
 でも、お母さんは、あきらめ切れないように、いつまでも火箸で灰をかきさがしながら、おっしゃるのです。
「今は物を大切にしなければならない時でしょう。それに、ミシンの針はなかなか手に入らないのよ。一太郎さん、どうかしてさがし出す工夫はないかしら」
 一太郎君は、これは、難題だと思いました。火鉢の灰の中へ十銭玉などをおとしてもなかなか探し出せないものですが、それが針のような細いものでは、一層やっかいです。いくら火箸でさぐっても、手ごたえがありませんし、たとえはさんでも、スルスルとぬけて行ってしまいます。
 お母さんと一太郎君は、しばらくの間、火箸で灰の中を縦横無尽にかきさがしていましたが、いつまでたっても針は見つかりません。もうあきらめてしまう(ほか)はないように思われました。
 一太郎君は火箸をおいて、しきりと考えていましたが、すると雲間から月が出るように、またしてもハッと名案が浮かんで来たではありませんか。
「アッ、お母さん、いいことがある。まっていらっしゃい。きっと僕が探し出して上げますからね」
 一太郎君はそういったかと思うと、あわただしく自分の勉強部屋の方へかけ出して行きました。
 読者諸君、おわかりになりましたか。一太郎君はいったいどんな名案を思いついたのでしょう。まだおわかりにならない方は、ここでちょっと本をおいて、一つ考えて見て下さい。
 やがて一太郎君は勉強部屋から、何か小さな黒いものを持って、ニコニコしながらもどって来ました。
「お母さん、見ていらっしゃい。わけなく探し出せますからね」
 一太郎君はそういって、その小さな黒いもので、火鉢の灰の中を、あちこちとかきさがしていましたが、やがて、
「サア、ありました。これでしょう」
 といって、お母さんの前にさし出したのを見ますと、一太郎君の手にしていたのはおもちゃの磁石で、その磁石の先にピカピカ光った一本のミシン針が、ピッタリ吸いつけられているのでした。
 磁石が鉄を吸いつける力を持っている事は誰でも知っています。それから、ミシン針が鉄で出来ている事も知らないものはありません。しかし、その鉄の針が灰の中へおちた時、それを探し出すのに磁石を使えばよいということは、ちょっと気づく人が少いのです。たいていは火箸でかきさがして、見つからなければ、あきらめてしまうことが多いのです。
 実になんでもないことです。しかし、そのなんでもないことを、考えつくということが、むずかしいのです。一太郎君はやっぱり感心な少年といわなければなりません。
 お母さんが、お喜びになったのはいうまでもない事です。その晩、お父さんが御用からお帰りになった時、お母さんは一太郎君のこの二つの手柄話、ゴムマリとミシン針のことを、くわしくお話しになりました。
「ウン、感心感心、ゴムまりやミシン針は小さなものだけれど、その調子で何事にも智恵を働かして行けば、今にもっと大きい発明なども出来るようになるだろう。その気持を忘れないで勉強するんだよ」
 お父さんはニコニコして一太郎君の頭をなでながらさも満足そうにおっしゃるのでした。
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