あらしの前の木と鳥の会話(3)
日期:2022-09-19 06:00 点击:274
三
乞食の子は、胡弓を持って、街へやってきました。父親は、村を歩いて、子供は、一人で街へきたのであります。
いい天気でありました。ある橋のところへくると、馬が重い荷を車につけて、引いてきかかりました。そして、そこまでくると、もう歩けなそうに、止まってしまいました。
馬引きは、綱で、ピシリ、ピシリと馬のしりをたたきつけました。馬は、苦痛にたえかねて跳ね上がりました。
これを、見ている人たちは、みんなびっくりしました。
「ちと、荷が、重すぎるのだ。」といった人もあります。
「かわいそうに。」と、馬に、同情した人もあります。
乞食の子供は、どうなることかと思って、しばらく立って見ていました。そのうちに、とうとう馬は、橋を渡って、重い荷車を引いていってしまいました。このとき、先刻、馬を「かわいそうに。」といった人が、そばの男に向かっていったのです。
「人間は、ああして、馬や、牛をずいぶん思いきった使い方をしているが、幸いに馬や、牛がものをいえないからいいようなものの、もし馬や、牛が、ものがいえたら、きっとそんな使い方はできないだろう。けっして、黙ってはいないからね。ものがいえないで幸いだ。」といいました。すると、相手の男は、それに、答えて、
「たとえ、ものがいえなくても、馬や、牛や、また、ねこや、犬が、笑ったり、泣いたりしたら、どうだろうね。」といいました。
「どんなに、気味の悪いことか。」と、二人は、こういって笑いました。
子供は、この話を帰ったら、父や、山の木や、鳥に、話してやろうと思いました。
子供は、街を歩いていますと、鳥屋がありました。大きな台の上で、男が、三人も並んで、ぴかぴか光る庖丁で鶏の肉を裂き、骨をたたき折っていました。真っ赤な血が、台の上に流れていました。その台の下には、かごの中で他の鶏が餌を食べて遊んでいました。
鳥屋の前に、二人の学生が立って、ちょっとその有り様を見てゆきすぎました。子供は、「なんというむごたらしいことだろう。」と、思いました。そして、自分も、学生の後ろについて、ゆきかかりますと、学生が、話をしていました。
「鶏というやつは、ばかなもんだね。仲間が殺されている下で、知らぬ顔をして、餌を食べているんだもの。」といいました。すると一人は、それを打ち消すようにして、
「人間だって同じじゃないか、毎日のように、若いもの、年寄りの区別なく死んで墓へゆくのに、自分だけは、いつまでも生きていると思って、欲深くしているのだ。」といいました。
子供は、これを聞いて、なるほどと思いました。
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