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海からきた使い(1)
日期:2022-10-17 11:29  点击:414

海からきた使い

小川未明


 人間(にんげん)が、天国(てんごく)のようすを知(し)りたいと思(おも)うように、天使(てんし)の子供(こども)らはどうかして、下界(げかい)の人間(にんげん)は、どんなような生活(せいかつ)をしているか知(し)りたいと思(おも)うのであります。
 人間(にんげん)は、天国(てんごく)へいってみることはできませんが、天使(てんし)は、人間(にんげん)の世界(せかい)へ、降(お)りてくることはできるのでありました。
「お母(かあ)さま、どうぞ、わたしを一度(ど)下界(げかい)へやってくださいまし。」
 天使(てんし)の子供(こども)は、母親(ははおや)に頼(たの)んだのであります。けれど、お母(かあ)さまは、容易(ようい)にそれを、お許(ゆる)しになりませんでした。
 なぜなら、人間(にんげん)は、天使(てんし)より野蛮(やばん)であったからです。そして、我(わ)が子(こ)の身(み)の上(うえ)に、どんなあやまちがないともかぎらないからでありました。
「どうぞ、お母(かあ)さま、わたしを一度(ど)下界(げかい)へやってくださいまし。」と、幾度(いくたび)となく、その小(ちい)さな天使(てんし)の一人(ひとり)は、お母(かあ)さまに頼(たの)みました。
 毎夜(まいよ)のように、地球(ちきゅう)は、美(うつく)しく、紫色(むらさきいろ)に空間(くうかん)に輝(かがや)いていました。そして、その地球(ちきゅう)には天使(てんし)と同(おな)じような姿(すがた)をした人間(にんげん)が住(す)んで、いろいろな、それは、天使(てんし)たちには、ちょっと想像(そうぞう)のつかない生活(せいかつ)をしていると、聞(き)いたからでありました。
「それほどまでに、下界(げかい)へいってみたいなら、やってあげないこともないが、しかし、一度(ど)いったなら、三年(ねん)は、辛抱(しんぼう)してこの天国(てんごく)へ帰(かえ)ってきてはなりません。もし、その決心(けっしん)がついたなら、やってあげましょう……。」と、お母(かあ)さまはいわれました。
 美(うつく)しい天使(てんし)は、しばらく考(かんが)えていました。そして、ついに決心(けっしん)をいたしました。
「三年(ねん)の間(あいだ)、わたしは下界(げかい)にいって、辛抱(しんぼう)をいたします。そして、いろいろのものを見(み)たり、また、聞(き)いたりしてきます。」と答(こた)えました。
 天国(てんごく)から、下界(げかい)に達(たっ)する道(みち)はいくつかありました。赤(あか)い船(ふね)に乗(の)って、雲(くも)の間(あいだ)や、波(なみ)の間(あいだ)を分(わ)けてから、怖(おそ)ろしい旋風(せんぷう)に、体(からだ)をまかせて二日二晩(ふつかふたばん)も長(なが)い旅(たび)をつづけてから、ようやく、下界(げかい)の海(うみ)の上(うえ)に静(しず)かに、降(お)りることも、その一つであれば、また、体(からだ)を雲(くも)と化(か)したり、鳥(とり)と化(か)したり、露(つゆ)と化(か)したりして、下界(げかい)の山(やま)の上(うえ)や、とがった建物(たてもの)の屋根(やね)のいただきや、野原(のはら)などに降(お)りることもできたのであります。
 天使(てんし)は、人間(にんげん)の力(ちから)ではできないことも容易(ようい)にされたのです。だから、小(ちい)さなかわいらしい天使(てんし)が、野蛮(やばん)な人間(にんげん)の住(す)んでいる下界(げかい)へ降(お)りてみたいなどと思(おも)ったのも無理(むり)のないことでありました。
 小(ちい)さな天使(てんし)は、いつしか下界(げかい)に降(お)りて、美(うつく)しい少女(しょうじょ)となっていました。
 ある秋(あき)の寒(さむ)い日(ひ)のこと、街(まち)はずれの大(おお)きな家(いえ)の門辺(かどべ)に立(た)って、家(いえ)の内(なか)からもれるピアノの音(おと)と、いい唄声(うたごえ)にききとれていました。あまりに、その音(おと)が悲(かな)しかったからです。故郷(こきょう)といえば、幾(いく)百千里(り)遠(とお)いかわからないからです。そして、帰(かえ)りたいと思(おも)っても、いまや、そのすべすらなく、まったく途(みち)もなかったからであります。少女(しょうじょ)は、どうかして、やさしい人(ひと)の情(なさ)けによって救(すく)われたいと思(おも)いました。
 空(そら)は、時雨(しぐれ)のきそうな模様(もよう)でした。今朝(けさ)がたから、街(まち)の中(なか)をさまよっていたのです。たまたまこの家(いえ)の前(まえ)にきて、思(おも)わず足(あし)を止(と)めてしばらく聞(き)きとれたのでした。
 そのうちに、街(まち)には、燈火(あかり)がつきました。家(いえ)のうちのピアノの音(おと)はやんで、唄(うた)の声(こえ)もしなくなりました。けれど、哀(あわ)れな少女(しょうじょ)は、この家(いえ)の前(まえ)を去(さ)ろうとせずに、そこに立(た)っていました。
 そのとき、りっぱな洋装(ようそう)をしてお嬢(じょう)さんが出(で)てきました。お嬢(じょう)さんはこれから、どこかへ出(で)かけられるようすでした。
「お姉(ねえ)さん、わたしもいっしょにつれていってください。」と、門(かど)に立(た)っている少女(しょうじょ)は、呼(よ)びかけました。
 お嬢(じょう)さんは、びっくりして振(ふ)りかえると、そこにかわいらしい、しかし寒(さむ)そうな、さびしそうなようすをして、少女(しょうじょ)が自分(じぶん)の顔(かお)を見上(みあ)げていましたので、この子供(こども)は、どこの子(こ)だろうかと、くびをかしげたが、思(おも)い出(だ)せませんでした。
「どうして、私(わたし)がゆくところを知(し)っているの?」と、お嬢(じょう)さんはいいました。
「わたしは、お姉(ねえ)さんが、おいでなさるところをよく知(し)っています。お姉(ねえ)さんは、これから舞踏会(ぶとうかい)においでなさるのでしょう。わたしは、おじゃまをいたしませんからどうかつれていってください。わたしは、みなさんの踊(おど)りなさるのが見(み)たいのです……。」と、少女(しょうじょ)は頼(たの)みました。
「いいえ、おまえさんをつれてゆくことなどはできません。はやく、お帰(かえ)りなさい。」と、お嬢(じよう)さんは、迷惑(めいわく)そうにいって、さっさとあちらへいってしまいました。
 少女(しょうじょ)は、お嬢(じょう)さんの行方(ゆくえ)をうらめしそうに見送(おく)っていますと、お嬢(じょう)さんの姿(すがた)は、夕(ゆう)もやのうちに隠(かく)れて、消(き)えていってしまいました。少女(しょうじょ)は、しかたなく、さびしい方(ほう)へと歩(ある)いてゆきました。
 もう日(ひ)は暮(く)れかかっていました。街(まち)を離(はな)れると、家(いえ)の数(かず)がだんだん少(すく)なくなりました。そのとき、途(みち)の上(うえ)で、ちょうど自分(じぶん)と同(おな)じ年(とし)ごろの少女(しょうじょ)が、赤(あか)ん坊(ぼう)を負(おぶ)って、子守唄(こもりうた)をうたっていました。この子守唄(こもりうた)を聞(き)くと、歩(ある)いてきた少女(しょうじょ)は、すっかり感心(かんしん)してしまいました。
「なんという、情(なさ)けの深(ふか)い唄(うた)だろう。天国(てんごく)にも、これより貴(とうと)い唄(うた)を聞(き)いたことはない。」と、思(おも)いました。そして、少女(しょうじょ)は、近(ちか)づくと、赤(あか)ん坊(ぼう)を負(おぶ)って、唄(うた)をうたっている娘(むすめ)にやさしく問(と)いかけたのであります。
「もう日(ひ)が暮(く)れるじゃありませんか。こんなにおそくなるまで、あなたは外(そと)に立(た)って、唄(うた)をうたっておいでなさるのですか。」と、少女(しょうじょ)はいいました。
 赤(あか)ん坊(ぼう)を負(おぶ)っている娘(むすめ)は、知(し)らない少女(しょうじょ)ではありましたが、こうやさしく問(と)いかけられると、目(め)に涙(なみだ)をためて、
「お母(かあ)さんが病気(びょうき)なもんですから、乳(ちち)をたくさん飲(の)ませることができないのです。なるたけ、赤(あか)ちゃんを眠(ねむ)らせるために、こうして、いつまでも外(そと)に立(た)って、唄(うた)をうたっているのです。」といいました。
 少女(しょうじょ)は、娘(むすめ)のいうことに、深(ふか)く同情(どうじょう)いたしました。
「そんなら、夜中(よなか)でも起(お)きて、あなたは唄(うた)をうたいなさるのですか?」
「夜中(よなか)でも起(お)きて、私(わたし)は、牛乳(ぎゅうにゅう)を飲(の)ませたり、泣(な)くときは守(も)りをしなければなりません。」と、娘(むすめ)は、答(こた)えました。
 美(うつく)しい、やさしい少女(しょうじょ)は、感心(かんしん)してしまいました。
「わたしが、今夜(こんや)、あなたに代(か)わって赤(あか)ちゃんの守(も)りをしてあげましょうか……。」と、少女(しょうじょ)はいいました。
「ありがとうございます。母(はは)が、かえって気(き)をもみますから、どうぞお気(き)にかけないでください……。」と、娘(むすめ)は答(こた)えました。
 少女(しょうじょ)は、しんせつが、かえって迷惑(めいわく)になってはいけないと思(おも)って立(た)ち去(さ)りました。
「はやく、あなたのお母(かあ)さんのおなおりなさるように祈(いの)っています。」と、少女(しょうじょ)は、立(た)ち去(さ)るときにいいました。
 少女(しょうじょ)が歩(ある)いてきますと、あとから赤(あか)ん坊(ぼう)を負(おぶ)った娘(むすめ)が追(お)いかけてきました。そして、少女(しょうじょ)を呼(よ)び止(と)めました。
「あなたのお家(うち)はどこですか……。」
 少女(しょうじょ)は、さびしそうに、娘(むすめ)の顔(かお)を見(み)て、微笑(ほほえ)みながら、
「わたしの家(うち)は、遠(とお)いんですの……。」と答(こた)えました。
 娘(むすめ)は、聞(き)いてびっくりしました。
「あなたは、こんなに暗(くら)くなって、どうしてお家(うち)へお帰(かえ)りになることができるのですか……。きたない家(うち)ですが、今夜(こんや)、私(わたし)の家(うち)に泊(と)まっていってください。」と、娘(むすめ)は、真心(まごころ)をこめていいました。
「わたしのことなら、どうぞおかまいなく……。」といって、少女(しょうじょ)は、とっとっとあちらへ去(さ)ってしまいました。
 その晩(ばん)は、雨(あめ)になりました。娘(むすめ)は、うす暗(ぐら)い家(いえ)のうちで、赤(あか)ん坊(ぼう)の守(も)りをしながら、先刻(さっき)、前(まえ)を通(とお)ったやさしい少女(しょうじょ)は、いまごろどうしたろうと思(おも)って、その身(み)の上(うえ)を案(あん)じていたのです。しかし、この夜(よ)から、お母(かあ)さんの病気(びょうき)は、だんだんいいほうに向(む)かいました。
 いつのまにか、冬(ふゆ)がきてしまいました。


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