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二番めの娘(1)
日期:2022-12-03 23:59  点击:316
 

二番めの娘

小川未明


毎年まいねんのように、遠とおいところから薬くすりを売うりにくる男おとこがありました。その男おとこは、なんでも西にしの国くにからくるといわれていました。
そこは、北国ほっこくの海辺うみべに近ちかいところでありました。
「お母かあさん、もう、あの薬売くすりうりの小父おじさんがきなさる時分じぶんですね。」と、二番ばんめの女おんなの子こがいいました。
すでに、あたりは、初夏しょかの日ひの光ひかりが、まぶしかったのであります。そして、草木くさきの芽めがぐんぐんと力強ちからづよく伸のびていました。
「ああ、もうきなさる時分じぶんだよ。」と、母親ははおやは、働はたらいていながら答こたえました。
その薬売くすりうりの小父おじさんという人ひとは、ほんとうに、やさしいいい人ひとでありました。いろいろな病気びょうきにきくいろいろな薬くすりを箱はこの中なかにいれて、それを負おぶって、旅たびから旅たびへ歩あるくのでありました。そして、ここへも、かならず年ねんに一度どは、ちょうど、あのつばめが古巣ふるすを忘わすれずに、かならずあくる年としには舞まいもどってくるように、まわってきたのでした。
この小父おじさんは、だれにもしんせつでありました。また、どんな子供こどもをもかわいがりました。だから、子供こどもも、この薬売くすりうりの顔かおを見みると、
「小父おじさん、小父おじさん。」といって、なつかしがりました。
「今年ことしも、なにか小父おじさんは、持もってきてくださるかしらん。」と、二番ばんめの女おんなの子こは、遠とおくをあこがれるような目めつきをしていいました。
この一家かは、あまり豊ゆたかではありませんでした。父親ちちおやがなくなってから、母親ははおやが子供こどもたちを養やしなってきました。しかし、みんな健すこやかに育そだったので、家いえの内うちは、貧まずしいながら、つねににぎやかでありました。めったに、薬売くすりうりの小父おじさんの持もってきた、薬くすりを飲のむようなことはなかったけれど、小父おじさんは、こちらにくればきっと立たち寄よりました。そして、みんなの健すこやかな顔かおを見みて、心こころから、喜よろこんでくれるのでした。姉弟きょうだいの中うちでも、二番ばんめの女おんなの子こは、もっともこの小父おじさんを慕したったのでした。人ひとのいい小父おじさんも、旅たびで見みたたくさんの子供こどもの中なかでも、またいちばんこの子こをかわいらしく思おもったのでありましょう。
「これをおまえさんにあげる。」といって、青あおい珠たまをくれました。それはちょうどかんざしの珠たまになるほどの大おおきさでした。
女おんなの子こは、この青あおい珠たまを見みて、ひとり空想くうそうにふけったのであります。
「西にしの国くにへいってみたらどんなだろう……。そこに、小父おじさんは住すんでいなさるのだ。」と思おもいながら、青あおい珠たまを手てにとってながめていますと、はるかに高たかい空そらの色いろが、その珠たまの上うえにうつってみえるのでありました。
はたして、薬売くすりうりの小父おじさんは、夏なつのはじめにやってきました。そして、こんどはお土産みやげに、二番ばんめの女おんなの子こに、紅あかい珠たまをくれました。ほかの子こには、西にしの国くにの町まちの絵紙えがみなどをくれました。
「みなさん、いつもお達者たっしゃでけっこうですね。私わたしも、もう年としをとって、こうして歩あるくのが、おっくうになりました。若わかいときから、働はたらいたものですが、この後のち、もう幾年いくねんも諸国しょこくをいままでのようにまわることはできません。それに、私わたしには、子供こどもというものがないのですから、さびしくて、楽たのしみがないのであります……。」と、薬売くすりうりの小父おじさんは、母親ははおやに話はなしました。
「まあ、あなたには、お子供こどもさんがないのですか?」と、母親ははおやは、それは、さだめしさびしかろうというようにいいました。
「こうして、働はたらいて、金かねをのこしましても、やるものがないので、ばあさんと、つまらないといいくらしています。」と、旅たびの薬売くすりうりの小父おじさんはいいました。
「小父おじさん、また、来年らいねんになったらくるの?」と、子供こどもたちはいいました。
「ああ、また、来年らいねんになったらやってきますよ。みんな、お母かあさんのいうことをよくきいて、達者たっしゃでおいでなさい……。」と、薬売くすりうりの小父おじさんはいいました。そして、背せに箱はこをばふろしきで負おぶって、いずこをかさして立たち去さったのであります。
赤あかい夕焼ゆうやけのする夏なつがすぎて、やがて秋あきとなり、そして、冬ふゆは、北国ほっこくに早はやくおとずれました。雪ゆきは降ふって、野のも山やまも埋うめてしまい、それが消きえると、黄昏時たそがれどきの長ながい春はるとなりました。その間あいだ、姉あねや、妹いもうとや、弟おとうとらは、よく母ははのいうことを聞きいて、この一家かは、むつまじく日ひを送おくってきたのであります。
子供こどもたちは、薬売くすりうりの小父おじさんのくれた絵紙えがみを出だして見みたりしました。その絵えには、白壁しらかべの家いえがあり、柳やなぎがあり、町まちがあり、橋はしがあり河かわが流ながれていました。
「こんなところへいってみたいこと。」と、一人ひとりがいいますと、
「ずっと遠とおいところだから、幾日いくにちもかからなければゆくことができない……。」などと、一人ひとりが話はなしをしたのでした。
その年としの夏なつもまた、年としとった旅たびの薬売くすりうりはやってきました。彼かれは母親ははおやに向むかって、
「私わたしは、今年ことしもこうしてきましたが、じつは、あなたのところの娘むすめさんをもらいたいと思おもってやってきたのです。私わたしには、子供こどもというものがありませんので、寂さびしくてなりません。働はたらいて、ためました金かねも、また家うちの財産ざいさんもやるものがないので悲かなしく思おもっています。もしあなたのお家うちの娘むすめさんをもらうことができましたら、どんなにうれしいかわかりません。大事だいじにして、私わたしの子供こどもとして育そだてて、お婿むこさんをもらって、家うちの跡あとを継つがしたいと思おもいますが、どうか私わたしに、娘むすめさんをくださいませんか……。」といって、ねんごろに頼たのみました。
娘むすめの母親ははおやは、長ながい間あいだ、貧まずしい生活せいかつをしてきました。それは、自分じぶんの腕うでひとつで働はたらいて、たくさんの子供こどもを育そだてなければならなかったからです。
そして、みんな、自分じぶんの家うちにいつまでも置おけるものでない。いつかは、よそへやらなければならない。どうせそうならば、この人ひとのいい薬屋くすりやさんにやって、りっぱに、幸福こうふくに育そだててもらったほうが、どれほど、当人とうにんにとってもいいことかしれないと考かんがえました。
あわれな母親ははおやは、二番ばんめの娘むすめをやることにきめました。そして、そのことを娘むすめに話はなしますと、さすがに娘むすめは、恋こいしい母親ははおやのもとを去さることを悲かなしみましたが、やさしい小父おじさんであり、また、日ひごろから遠とおい西にしの国くにの景色けしきなどを目めに描えがいて、憧あこがれていましたから、ついいってみる気きにもなったのでありました。
姉あねや、弟おとうとは、彼女かのじょのまわりに集あつまって、いまさら別わかれてゆく、娘むすめのために悲かなしみました。ちょうど、家うちの前まえには、赤々あかあかとした、ほうせんかが、いまを盛さかりに咲さき乱みだれていました。この花はなを二番ばんめの娘むすめはことに愛あいしていました。それで、朝あさとなく、夕ゆうべとなく、水みずをやったりしたので、
「ああ、この赤あかい花はなにも、私わたしは別わかれてゆかなければならない。せめて、この花はなの種子たねを持もってまいりましょう……。」といって、娘むすめは、ほうせんかの種子たねを、紙かみに包つつんで、それを懐ふところの中なかにいれたのでした。
それは、夏なつも終おわりに近ちかづいた、ある日ひでありました。娘むすめは、薬売くすりうりの小父おじさんにつれられて、みんなと別わかれて、門出かどでをしたのであります。母親ははおやは涙なみだをもって見送みおくりました。姉あねや、弟おとうとは、村むらのはずれまで送おくってゆきました。そして、娘むすめは、うしろ髪がみを引ひかれるように振ふりかえり、振ふりかえりいってしまったのであります。
これは、ほんとうに、我わが家やにも、姉あねや、弟おとうとにも、また恋こいしい母親ははおやにも、長ながい、長ながい別わかれでありました。
薬売くすりうりの小父おじさんは、その宵よい、港みなとから出でる汽船きせんに乗のって、娘むすめをつれて、遠とおい、遠とおい、西にしの海うみを指さして走はしっていったのであります。
北国ほっこくの空そらは、いつものごとく、ほんのりと山やまの端はが紅あかく色いろづいて、沖おきの方ほうは明あかるく、暮くれかかりました。
ほうせんかが、家うちの前まえに咲さいているのを見みるにつけて、母親ははおやは、二番ばんめの娘むすめの身みの上うえを案あんじました。船ふねに乗のっていったのであるが、もう着ついたであろうか。そう思おもっては、門口かどぐちに立たって、ぼんやりと沖おきの方ほうの空そらをながめていました。
姉あねや、弟おとうとは、いなくなった二番ばんめの娘むすめのことを思おもい出だして、いつもいっしょになって遊あそんだので、いままでのように、はしゃぐこともありませんでした。
日ひは、一日にち一日にちとたってゆきました。けれど、いった娘むすめは、もう帰かえってくることもなかったので、母ははは、いまさらのごとく後悔こうかいをしました。
「なんで、遠とおいところへなどやってしまったろう?」といって、夜よるも、ろくろく眠ねむらずに、思おもい明あかすこともあったのです。
「今年ことしは、二番ばんめの姉ねえちゃんがいないから、さびしいな。」といって弟おとうとは、青々あおあおとして澄すみわたった空そらを飛とんでゆく、鳥とりの行方ゆくえを見送みおくりながら、独ひとり言ごとをしたのでありました。

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