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三つのお人形(3)_小川未明童話集_日语阅读_日语学习网
日期:2024-10-24 10:29  点击:3401
 

二


夜よるになると、街燈がいとうが、店みせさきでともりました。その光ひかりは、ちょうど、踊おどっている人形にんぎょうのところへとどきました。
「おや、あなたおひとりになったのですか。あの方かたは、どこへゆかれました。」と、光ひかりは、たずねた。
「ひとりは、外国人がいこくじんに、ひとりは、どこかの娘むすめさんにつれられてゆきました。わたしは、ふたりの方かたのおたよりを知しりたいと思おもうのですが、あなたはおわかりになりませんか?」と、人形にんぎょうは、いいました。
円まるい頭あたまをした、脊せの高たかい街燈がいとうは、ため息いきをついて、
「いくら、私わたしが脊せが高たかくても、なんで、おふたりの行方ゆくえがわかりましょう? もし、もし、待まってください。毎晩まいばん、蛾ががやってきますから、知しっているか聞きいてみてあげましょう。」と、答こたえました。
踊おどっている人形にんぎょうは、なにぶんにもよろしくといって頼たのみました。夜よるになると、街まちの中なかは、いっそう、にぎやかになりました。楽器がっきの音ねが流ながれたり、草花屋くさばなやが出でたりしました。ちょうど、そのとき、どこからか、街燈がいとうの光ひかりを慕したって、蛾がが飛とんできました。光ひかりは人形にんぎょうと約束やくそくをしたことを思おもい出だして、二つの人形にんぎょうについて、なにか知しらないかとたずねたのです。
「お人形にんぎょうですって? 私わたしがなんで、そんなものを注意ちゅういしましょう。私わたしの好すきなのは、花はなとあなたばかしです。昼ひるは、花はなをたずねて歩あるき、夜よるは、こうして光ひかりを慕したって飛とんできます。短みじかい私わたしたちの一生しょうは、この世よの中なかでいちばん美うつくしいものを見みることです。」と、蛾がは、いいました。
あくる日ひの晩ばん、街燈がいとうは、このことを踊おどっている人形にんぎょうに話はなしました。これを聞きくと人形にんぎょうは、がっかりしました。それは、ふたりの友ともだちの消息しょうそくがわからないということよりも、世よの中なかでいちばん美うつくしいのは、花はなと光ひかりであると、蛾ががいったというなら、自分じぶんは、まったく無視むしされたためです。
「そう、力ちからを落おとしたものではありません。もう、しばらく、あなたがここにおいでなさるなら、だれか、ほかのものにも聞きいてみてあげますよ。」と、街燈がいとうは、なぐさめたのであります。
二、三日にちたってから、あたりのまぶしい昼間ひるまのこと、つばめが、ちょうど頭あたまの上うえへ飛とんできました。
「もし、もし、つばめさん、すこしおたずねしたいことがあるのですが……。」と、街燈がいとうは、呼よびとめたのです。すると、つばめは、屋根やねのひさしにとまりました。
「なんのご用ようですか?」といって、つばめは、首くびをかしげて、街燈がいとうを見みました。
「ここから、あの店みせさきに飾かざってある、踊おどっている人形にんぎょうが見みえるでしょう……。」
つばめの目めは、よかったから、すぐわかりました。
「よく見みえます。あの小ちいさなたなには、たった一つしかありませんね。」
「三つあったのですが、ついこのごろ、二つ売うれてしまったのですよ。三つのお人形にんぎょうは、同おなじ人ひとの手てで作つくられたので、それは仲なかがよかったのです。それで、一つになってしまって、あのお人形にんぎょうはさびしがっています。」
「それは、無理むりもないことです。」と、つばめも、同情どうじょうしました。
「そんなわけで、二つのお友ともだちは、どこへいったかと思おもい暮くらしているのですが、あなたは、身軽みがるに方々ほうぼうをお歩あるきなさいますが、お知しりにはなりませんか……。」と、街燈がいとうは、いいました。
「いくら、私わたしが、身軽みがるに方々ほうぼうを飛とびまわるからといって、どうして、家うちの内なかのことまでがわかりましょう……。それは、無理むりというものですよ。」
「一つのすわっているお人形にんぎょうは、外国人がいこくじんが買かっていったというのですが。」
「外国人がいこくじんですって……。そういえば、私わたしは、人形にんぎょうをたくさん集あつめている外国人がいこくじんを知しっています。その人ひとは、ここから七、八里り離はなれた、海岸かいがんに住すんでいました。家族かぞくといっては、ほかに年としとった、雇やといのおばあさんがいるばかり、広ひろい庭にわには、いっぱい草花くさばなを植うえて、これを愛あいしていました。また、晩方ばんがたになると、その人ひとは、海うみのほとりに立たって、あちらをながめて、ふるさとのことを思おもい出だしていました。ある日ひ、私わたしが、人ひとのいない時分じぶんに、窓まどからのぞくと、いろいろのお人形にんぎょうが、たなの上うえに飾かざられてありましたが、それらのお人形にんぎょうたちは、近々ちかぢかに、主人しゅじんが外国がいこくへ帰かえるそうだが、たぶん、そのときつれてゆかれるだろうということを話はなしていました。知しらない国くにへゆくのをおもしろがっているものもありましたが、また、いったら、もう二度どとこちらへは帰かえられないといって、悲かなしんでいるものもありました。……もし、あの中なかに、そのお友ともだちがいられたなら、おそらく、もう消息たよりは聞きかれますまい。なぜなら、二度どめに、私わたしが、その家いえの窓まどをのぞいたときには、すっかりお人形にんぎょうは、荷造にづくりされていたようすでしたから……。」
つばめは、こう物語ものがたったのであります。街燈がいとうは夜よるになったときに、ふたたび、このことを踊おどっている人形にんぎょうに話はなしました。
「あの人形にんぎょうは、どこへいってもかわいがられるでしょう。」と、人形にんぎょうは沈しずみがちに、踊おどりながらいいました。

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