日语学习网
28 大きくなんかなりたくない(下)_《一公升的眼泪》原著_日剧台词脚本_日语阅读_日语学习网
日期:2024-10-24 10:29  点击:3337
[原文]
 
大きくなんかなりたくない(下)
 
たっだ三メートルの幅の廊下が渡れない。
人間は精神だけで生きていけないものか?
上半身だけで、歩くことはできないものか?
私は空気のような存在の人になりたい。いなくなって初めて大切な存在であったことがわかるような、ともかく優しくて、にじみでてくるような、そんな人格の持ち主になりたい。
席替えで、一番前の席になっちゃった。
授業に遅れた時は、どこをどう通って自分の席に着くか、滑走路をきめなくちゃあいかん。健康管理によほど気をつけんと、アクビがでて、鼻が詰まって、気持ちが悪くなっちゃうぞ。
おやつに焼芋を食べた。おいしかった。
まだ二時半というのに、日没の気配がします。
知らぬ間に、家から見える稲荷山の桜の葉もほとんど散ってしまいました。
そう言えば、学校の銀杏も紅葉していたっけ!友達の肩や、廊下の壁につかまって歩く私は、上を向くと転ぶのです。
 
授業参観日だ。父兄が誰も来なくてよかった。わたしは、お母さん連中はどうも好かんのです。
あたかも「身体障害者がいる」という、そんな差別しきった目で、上から下までジロッと見られるから、悔しくて涙が出そうになる。
誰が好きでこんな体になるものか。夕食の時、思い出したら涙が出て仕方がなかった。
今さらメソメソしたって、どうなることでもないのにね、母上ゴメンナサイ。
保護者会で、母と2人で面接。数学をチートがんばれば、トップクラスに入れるって!ガンバロウジャアナイカ、亜也ちゃん!
今、十一時。寝転がった半分のお月様が、東の窓ガラスを通して、ほほえんでいます。
電灯を消したら、お祈りができるかな。
健康な級友との生活で、どうしようもない屈辱感を味わうことがある。
そりゃあ、つらいです。
でもね、裏を返せば、そうした屈辱感が勉強する原動力にもなっているのだ。
東高(愛知県立豊橋高等学校)が好き、先生も好き、Sちゃん、Y子ちゃん、M江ちゃん、みんな好き。
お菓子屋さんで待っている時、チョコをくれた先輩も好き!

[译文]
 
仅仅3米宽的走廊也走不过去。
人,难道仅仅依靠精神就不能生存下去么?
仅仅依靠上半身,就不能行走么?
我希望自己的存在如同空气一般,当失去的时候才会发现其重要性。暂且不说要多么温柔善良,我想成为那种由内而外,自然地散发着魅力的人。
换了位子,坐在最前排了。
上课迟到的时候,该怎样、从哪里走到自己的座位上呢,不可能有我的“专用走道”。
一不注意身体就会打哈欠,鼻塞,心情糟透了。
烤番薯真好吃。
才两点半,却感觉快日落了。
不知不觉间,从家里可以望见的稲荷山上的樱树叶子几乎都凋零了。
这样说起来,学校的银杏叶好像也变红了呢!抓着朋友的肩膀,扶着走廊墙壁走路的我,不断努力向上。
 
上课参观日。(有没有更好的说法?)爸爸弟弟们一个也不来,太好了。我对于这种很多母亲来参加的活动怎么也喜欢不起来。
被别人用那种好像在说“有残疾人”一样区别对待的目光,上上下下可怕地打量着,难过得快哭出来了。
有谁愿意自己的身体变成这样!吃晚饭的时候,一想起那些目光就忍不住哭了。
至今为止,我这样的哭哭啼啼没有起到任何作用,母亲大人,对不起。
我和妈妈一起接受了监护人组织的面试。他们说我数学上再努力一下的话,就能进最好的班级了。亚也!你难道不加油吗?!
现在是11点,我躺在床上,透过东边的玻璃窗,看到天上的半弦月正在微笑。
关了电灯的话,就能祈祷了吧。
由于和身体健康的同学一起生活,我深刻的体味到了没有希望的屈辱感。
那真是很痛苦。
但是,反过来说,那样的屈辱感也成为了我学习的原动力。
我喜欢东高(爱知县立丰桥高等学校),喜欢老师,S、Y子、M江、喜欢所有的人!
等在点心店的时候,给我吃巧克力的前辈,我也很喜欢!


分享到:

顶部
11/28 10:45