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らんの花 (1)_小川未明童話集_日语阅读_日语学习网
日期:2024-10-24 10:29  点击:3389

 


(この話はなしをした人ひとは、べつに文章ぶんしょうや、歌うたを作つくらないが、詩人しじんでありました。)



支那人しなじんの出だしている小ちいさい料理店りょうりてんへ、私わたしは、たびたびいきました。そこの料理りょうりがうまかったためばかりでありません。また五目もくそばの量りょうが多おおかったからでもありません。じつは、出だしてくれる支那茶しなちゃの味あじが忘わすれられなかったからです。支那茶しなちゃの味あじがいいってどんなによかったろうか。まず、その店みせで飲のむよりほかに、私わたしは、それと同おなじい茶ちゃを手てに入いれることができなかったのです。
その味あじは、ちょっと言葉ことばには現あらわされないのですが、味あじというよりも香においがよかったのです。なんというか、まだ、江南こうなんの春はるを知しらないけれど、この茶ちゃをすするときに、夢ゆめのような風景ふうけいを恍惚こうこつとして想像そうぞうするのでありました。
そして、頭あたまの上うえの額がくには、支那しなの美人びじんの絵えが入はいっていましたが、美うつくしい、なよやかな姿すがたが、茶ちゃをすする瞬間しゅんかんには、さながらものをいうように、真紅まっかな唇くちびるの動うごくのを覚おぼえました。
「君きみ、このお茶ちゃの中なかには、香においのする花はなが入はいっているようだが。」と、ある日ひ、私わたしは、この店みせの主人しゅじんに向むかって、ききました。
腰こしが低ひくくて、愛想あいそうがよく、ここへ住すむまでには、いろいろの経験けいけんを有ゆうしたであろうと思おもわれる主人しゅじんは、笑わらって、
「このお茶ちゃには、蘭亭らんていの白しろいらんの花はなが入はいっていますよ。」と、答こたえました。
「ははあ、らんの花はなが入はいっている。なるほど、それで、こんなに、やさしい、いい薫かおりがするのかな。」と、らんの花はなのもつ、不思議ふしぎな香気こうきに、まったく魂たましいを酔よわされたように感かんじたのでした。

偶然ぐうぜんのことから、私わたしは、らんに興味きょうみをもつようになりました。いままでは無関心むかんしんにこれを見みていて、ただ普通ふつうの草くさの一種しゅとしか思おもわれなかったのが、特別とくべつ、高貴こうきなもののように思おもいはじめたのです。そしてすこし注意ちゅういすると、世間せけんではいつからか、らんが流行りゅうこうしていて、玩賞がんしょうされているのに気きづきました。デパートにもその陳列会ちんれつかいがあれば、ときに公園こうえんにも開ひらかれるというふうで、私わたしは、いろいろの機会きかいに出でかけていって、らんを見みることを得えましたが、その種類しゅるいの多おおいのにもまた驚おどろかされたのです。たとえば南洋なんようの蕃地ばんちに産さんする、華麗かれいなちょうのような花はなをつけたもの、離はなれ島じまの波浪はろうが寄よせるがけの上うえに、ぶらさがっているという葉はの短みじかいもの、また台湾たいわんあたりの高山こうざんに自生じせいするという糸いとのように葉はの細ほそいもの、もしくは、支那しなの奥地おくちにあるという、きわめて葉はの厚あつくて広ひろいもの、そして、九州きゅうしゅうの辺あたりから、四国こく地方ちほうの山やまには、葉はの長ながいものがありました。その中なかにも、変種へんしゅがあって、葉はの色いろの美うつくしい稀品きひんがあります。花はなもまたいろいろで、一本ぽんの茎くきに、一つしか花はなの咲さかないもの、一茎ひとくきに群むらがって花はなの咲さくもの、香気こうきの高たかいもの、まったく香気こうきのしないもの、その色いろにしても、紫色むらさきいろのもの、淡紅色たんこうしょくのもの、黄色きいろのもの、それらの色いろの混まじり合あったもの、いろいろでありました。しかし、まだ白しろい花はなを見みなかったのであります。これらのらんには、いずれも高価こうかの札ふだがついていました。

私わたしはこれを見みながら、
「このお茶ちゃには、蘭亭らんていの白しろいらんの花はなが入はいっています。」といった、この料理店りょうりてんの主人しゅじんの言葉ことばを思おもい出だしました。白しろい花はなは、もっと珍めずらしいものにちがいない。そして、もっと高価こうかなものにちがいない。
「白しろい花はながあったら、幾何いくらするだろうか。」
こんなことも考かんがえました。事実じじつ、金かねさえあれば、新高山にいたかやまの頂いただきにあったというらんも、この手てに入はいるのですが、ここで私わたしの考かんがえたことは、自然しぜんの美びというものが、はたして、金かねで買かえるものであるかということでした。

これは、商人しょうにんの場合ばあいですが、こんな話はなしがあります。
どちらかといえば、私わたしは、深ふかくわかりもしないくせに、多趣味たしゅみのほうです。あるとき、街まちを歩あるいていて、骨董屋こっとうやの前まえを通とおって、だれが描えがいたのか、静物せいぶつの油絵あぶらえがありました。立たち止どまってそれを見みているうちに、
「ちょっといいなあ。」と、いう気きが起おこったのです。
もし高たかくなければ、買かってもいいというくらいの気持きもちで、その店みせへ入はいりました。
「いらっしゃいまし。」と、老人ろうじんが丁寧ていねいに頭あたまを下さげました。私わたしはその油絵あぶらえの前まえに近ちかく寄よって、じっと見みていました。

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