前篇 猟奇の果_猎奇的后果_江户川乱步_日本名家名篇_日语阅读_日语学习网
日期:2024-10-24 10:29 点击:3353
前篇
猟奇
の果
はしがき
彼は余りにも退屈屋で
且
つ猟奇者であり過ぎた。
ある探偵小説家は(彼も又退屈の余り、
此世
に残された唯一の刺戟物として、探偵小説を書き始めた男であったが)この様な
血腥
い犯罪から犯罪へと進んで行って、
遂
には小説では満足出来なくなり、実際の罪を、例えば殺人罪を、犯す
様
なことになりはしないかと
虞
れた
由
であるが、この物語の主人公は、その探偵作家の虞れたことを、実際にやってしまった。猟奇が
嵩
じて、遂に恐ろしい罪を犯してしまった。
猟奇の
徒
よ、
卿等
は余りに猟奇者であり過ぎてはならない。この物語こそよき
戒
である。猟奇の
果が
如何
ばかり恐ろしきものであるか。
この物語の主人公は、名古屋市のある資産家の次男で、名を
青木愛之助
と
云
う、当時三十歳になるやならずの青年であった。
パンの
為
に勤労の必要もなく、お
小遣
と精力はあり余り、恋は、美しい意中の人を妻にして三年、その美しさに無感覚になってしまった程で、つまり、何一つ不足なき身であったが
故
に彼は退屈をしたのである。そして、
所謂
猟奇の徒となり果てたのである。
彼はあらゆる方面で
いかもの
食いを始めた。見るものも、聞くものも、たべるものも、そして女さえも。だが、何物も彼の根強い退屈を
癒
してくれる力はなかった。
その様な彼であったから、当然探偵小説という文学中での
いかもの
を
耽読
した。犯罪に興味を持った。そして、猟奇の徒が犯罪の一つ手前の刺戟物として、好んで試みる所の、例の猟奇
倶楽部
という、変な遊戯をさえ始めた。だが、これとても、結局は彼の退屈を一層救い難きものにしたばかりである。刺戟が強くなればなる程、一方ではそれを感じる神経の方で、
麻痺
して行くのだ。
とは云え、犯罪以外の刺戟剤としては、この猟奇倶楽部が最後のものであった。
そこでは、考え
得
るあらゆる奇怪なる遊戯が行われた。パリのグランギニョルにならった、血みどろで
淫猥
な小劇、各種の
試胆会
風な催し物、犯罪談、etc、etc。会合毎に当番が定められ、当番の者は、例えば「自分は今人を殺して来た」という様なことを、真面目くさって告白して、会員達を
戦慄
させ、
仰天
させ、アッと云わせる趣向を立てなければならぬのだ。
段々種が切れて来ると、しまいには、会員を
真底
から戦慄させたものに、巨額の懸賞金をつける申合わせさえした。青木愛之助は
殆
ど彼一人でその資金を提供した。
だが、この様な趣向には限りがある。青木愛之助が、
如何
に刺戟に
餓
えていたからとて、又彼がどれ程の賞金を
懸
けたとて、金ずくで自由になる事柄ではないのだ。
遂に猟奇倶楽部も、趣向が尽きると共に、一人抜け二人抜け、いつ解散したともなく、解散してしまった。そして、そのあとには、前よりも一層耐え難い退屈丈けが取残された。
作者が思うのに、これは当然のことなのだ。猟奇者が猟奇者である間は、永久に彼の猟奇心を満足させることは出来ないのだ。彼はあくまでも第三者であり傍観者だからである。犯罪談をしたり聞いたりしているのでは、真底からの恐怖や戦慄が
味
えるものではない。
若
しそれを味いたかったなら、彼
自
から犯罪当事者となる外はないのだ。極端な例で云えば、人に殺されるか、人を殺すかするより外はないのだ。
それが猟奇の果である。だが、如何な猟奇の徒と
雖
も、(我が青木愛之助と雖も)どれ程刺戟に餓えたからと云って、まさか自から進んで本当の犯罪者に身を落し「猟奇の果」を
極
わめる程の勇気はないのである。
[#改ページ]
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