水中のゴング
水はゴングの腰までになり、腹、胸、肩と、みるみる深くなってくるのです。大きな池の水ですから、このせまい防空壕が、てんじょうまでいっぱいになっても、まだあまるほどです。いつまでたっても、水がとまるようすはありません。ぐんぐん水面が高くなっていくばかりです。そのへんを、死にものぐるいで、泳ぎまわっていた五ひきのネズミが、つぎつぎと、ゴングのからだへ、のぼりついてきました。
ネズミたちにとっては、ゴングのからだは、広い海の中につきだしている岩のようなもので、そこへよじのぼるほかに助かるみちはないのですから、ゴングがいくらはらいのけても、執念ぶかくのぼりついてくるのです。
そのうちに、水はゴングの首をひたし、あごにとどき、口をかくすほどになってきました。もう立っていることができません。しかたがないので、ゴングは、つめたい水の中で立ちおよぎをはじめました。
ネズミどもは、ゴングの顔へのぼりついてきました。ゴングは変装しているのですから、かみの毛はカツラなのです。ネズミたちは、そのカツラのモジャモジャのかみの毛にしがみついて、はなれません。
手ではらいのけようとすると、死にものぐるいのネズミは、ゴングの指にかみつくのです。指ばかりではありません。耳たぶや、鼻の頭を、あのするどい歯でかみつくのです。ゴングの顔は、ほうぼうから血が流れて、恐ろしいありさまになりました。
ゴングは、「ちくしょう! うるさいネズミめ!」とつぶやきながら、ぐっと、水の中へもぐりました。頭を水の中に沈めてじっとしていますと、ネズミどもは息ができないので、ゴングの頭をはなれて、水面に浮きあがり、そのへんを泳ぎまわるのです。
しかし、ゴングのほうでも、いつまでも、もぐっているわけにはいきません。息がくるしくなって、ひょいと頭をあげると、ネズミどもは、待ってましたとばかり、またしても、ゴングの顔や、頭へ、泳ぎついてきます。そして、耳や、鼻や、くちびるを、ひっかいたり、かみついたりするのです。
ゴングは、なんども水にもぐって、ネズミをはらいのけましたが、いくらやっても同じことなので、もう、あきらめてしまいました。五ひきのネズミを頭にのせたまま、泳いでいます。
ふと気がつくと、防空壕のてんじょうからさがっているはだか電球が、水面とすれすれになっていました。もうてんじょうと水面のあいだは、六十センチほどしかありません。いつのまにか、それほど水かさがましていたのです。
しばらくすると、そのへんが、みょうな色にかわりました。電球が、水につかってしまったからです。てんじょうが、スーッとうす暗くなり、電球は水の中で光っています。電球のまわりの水が明るくなって、水面が波だつたびに、キラキラと美しく光るのです。
しかし、それも、ごくわずかのあいだで、やがてパッと電灯が消え、あたりは真のやみになってしまいました。
死んだようなやみの中、つめたい水の中、なんの音もなく、動くものといっては、立ちおよぎをするために、しずかに水をかいている、じぶんの手足と、顔や頭にすがりついているネズミのからだだけです。
さすがの妖人ゴングも、ゾーッと、こわくなってきました。
十分もすれば、水は防空壕のてんじょうにつくでしょう。そうすれば、もう息ができなくなるのです。水の中でもがきながら、死んでしまうのです。
いや、そんなことよりも、なんにも見えないこの暗さ。頭の上で、からだをくっつけあって、うごめいている五ひきのネズミ。手足を動かさなければ沈んでしまう、つめたい水。そういう、いまの身のうえが、なんともいえないほど恐ろしくなってきたのです。
「助けてくれええ……。おれは、息がつまりそうだああ……。だれか、きてくれええ……。」
死にものぐるいの声を、ふりしぼって叫びました。
ゴングはもう魔法つかいではないのです。こうなっては、どんな魔法も、つかえないのです。ただ、まっ暗な中で、水におぼれて死ぬのを待つばかりです。
いくら悪人だといっても、あんまりかわいそうではありませんか。明智探偵は、こうして、ゴングを殺してしまうつもりなのでしょうか。