宙に浮く首
世田谷区の木下昌一君のおうちのそばにある森の中に、からだじゅう銀色に光る怪物が、あらわれてから二、三日は、なにごともなく、すぎさりました。
あのとき、怪物はケラケラと笑いながら、高い木の上に浮きあがっていって、そのまま闇の空へ、すがたを消してしまいました。
少年団員たちは、こわくなって、そのまま、めいめいのうちへ逃げかえり、おとうさんに、そのことを話しましたが、
「そんなばかなことがあるもんか。きっと、リンでも、もえているのを、見まちがえたのだろう。」
といって、すこしも、とりあってくださらないのでした。
むりもありません。全身銀色にかがやいて、目はまっ赤にひかり、口の中は火のようにもえている人間なんて、この世にいるはずがないからです。
ところが、少年たちは、夢を見たのではありません。あの恐ろしいやつは、やっぱり、ほんとうの怪物だったのです。それから二、三日たった、あるばんのこと、こんどは千代田区の、やしき町のまんなかに、銀色のやつが、あらわれたのです。
もう、夜の十一時をすぎていました。まだところどころに、広いあき地のある、さびしいやしき町を、火の番のおじいさんが、
「火の用心。」ちょん、ちょん……。
と、拍子木をたたきながら歩いていました。
腰に、ぶらぢょうちんをさげていますが、小さなロウソクとみえて、いまにも消えそうな心ぼそいあかりです。
そこは、両がわに長い塀のつづいている、まっ暗な町でした。常夜灯も、電球がわれて消えてしまい、鼻をつままれても、わからぬほどの暗さです。
いっぽうは、コンクリートの万年塀ですが、もういっぽうは、まっ黒にぬった板塀で、いっそう、まっ暗にみえるのです。
その黒板塀の前をとおっていますと、塀の一ヵ所が、ゆらゆらと、動くような気がしました。
火の番のじいさんは、オヤッと思って立ちどまりました。
「なんだろう? 塀に小さなひらき戸がついていて、それが、風で動いたのかしら? もし、そうだったら、用心のわるいことだ。ちゃんと戸じまりをしておかなけりゃあ。」
じいさんは、そう考えて、手さぐりで黒塀に近づいていきました。ちょうちんのあかりが暗いので、はっきり見えないのです。
すると、なんだかきみのわるい、やわらかいものが、手にさわりました。びっくりして、うしろにさがり、腰のちょうちんをとって、よく見ようとすると、パッと、そのちょうちんが、地面にうち落とされ、火が消えてしまいました。
なにか、目に見えないまっ黒なやつが、そこに立っていて、ちょうちんを、たたき落としたのです。さっき手にさわった、やわらかいものは、そいつのからだだったのでしょう。
「だれだッ? そこにいるのは、だれだッ。」
じいさんは、うすきみのわるいのをがまんして、大声でどなりました。
あいてはだまっています。まっ黒な塀の前のまっ黒なやつですから、すこしも目には見えません。
そいつは、ぴったりと、塀にからだをくっつけて、クモのように横にはって、もう逃げてしまったのかもしれません。それとも、もとの場所に、じっとしているのでしょうか。あいてが人間だか、けだものだか、わからないので、じつにきみがわるいのです。
そのとき、すぐ鼻のさきの闇の中で、ケラ、ケラ、ケラという、身ぶるいするような笑い声が聞こえました。
ギョッとして、そのほうを見つめますと、いきなり、黒板塀の、じいさんの顔と同じぐらいの高さのところに、人の顔があらわれたではありませんか。
青白く光った顔です。その中にふつうの人間の三倍もあるような、大きな二つの目が、まっ赤にかがやいています。赤い目の銀色の顔です。その顔ばかりが、宙に浮いているのです。
ケラ、ケラ、ケラ……。
その顔が、口をあいて笑いました。ああ、その口! 口の中は、まっ赤です。まるで火がもえているようです。
あまりの恐ろしさに、火の番のじいさんは、「ワアッ!」と叫んで、その場に、しりもちをついてしまいました。
すると、その叫び声におどろいたのか、銀色の顔は、パッとかき消すように見えなくなってしまいました。
じいさんは、やっと、腰をさすりながら立ちあがりました。そして、こんなきみのわるいところには、一刻もいられないというように、すたすたと歩きだしました。
ところが、二メートルも歩かないうちに、またしても、すぐ耳のそばで、ケラ、ケラ、ケラと、あの笑い声。ギョッとして、そのほうを見ますと、またしても、そこの黒板塀に、あの銀色の、まっ赤な目の顔が、あらわれていたではありませんか。
じいさんは、くぎづけになったように、そこに立ちすくんでしまいました。逃げたら、うしろから、グワッと、化けものに、かみつかれそうに思ったからです。
銀色の顔ばかりのお化けは、スルスルと黒板塀のてっぺんへ、のぼっていきました。そして、そのてっぺんの横板の上に、ちょこんと、のっかって、まっ赤な口を、パクパクひらきながら、赤い目で、こちらをにらみつけながら、ケラ、ケラ、ケラと、笑いました。
「ワアッ!」
じいさんは、もう、無我夢中になって逃げだしました。いまにもうしろから、あの赤い目の首がとびついてくるのではないかと、生きたここちもなく、ただ走りに走るのでした。
やっと、黒板塀がなくなって、むこうが、ボウッと明るくなってきました。その角をまがったむこうに、常夜灯が立っているらしいのです。
おおいそぎで、その角をまがりました。ずっとむこうに、うすぐらい電灯がついています。見ると、その電灯の下を、コツ、コツと、こちらへ、歩いてくる人があるのです。
「アッ、おまわりさんだ。」
それは、制服のおまわりさんが、夜の町を見まわっているのでした。じいさんは大よろこびで、そのほうへ、かけよっていきました。
「だ、だんな、たいへんだ。銀色に光った首が、あの黒板塀の上に……。」
じいさんは、どもりながら、そんなことをいって、まがり角のむこうを指さすのでした。
「なに、銀色の首だって?」
おまわりさんが、みょうなふくみ声で聞きかえしました。よく見ると、へんなおまわりさんです。制帽のひさしの下から顔の前に、黒いきれがさがっているのです。そのきれにつつまれて、顔はすこしも見えません。
じいさんは、みょうな顔をして、その黒いきれを見つめました。
「へえ、銀色の首です。まっ赤なでっかい目をして、口から火を吹いて、板塀の上に、ちょこんと、のっかっていました。首ばかりの化けものです。」
「へ、へ、へ、へ、へ……。」
おまわりさんが、へんてこな笑い声をたてました。
「へ、へ、へ、へ、……、そいつは、こんな顔だったかね。」
といって、制帽をぬいで見せました。
「ワアッ!」
じいさんは、またしても、ひめいをあげて、しりもちをつきました。
おまわりさんの顔は、青っぽい銀色をしていたからです。まっ赤な二つの目が、こちらをにらんでいました。そして、あのまっ赤な火のような口をひらいて、ケラ、ケラ、ケラと、笑ったではありませんか。
じいさんは、あまりの恐ろしさに、とうとう気をうしなってしまいました。そして、しばらくして気がついてみると、おまわりさんのすがたも、銀色の顔も、どこにも見えないのでした。