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虫(7)_虫_江户川乱步_日本名家名篇_日语阅读_日语学习网
日期:2024-10-24 10:29  点击:3337


 それ以来、世間に知られている所では、柾木愛造が木下芙蓉を殺害したまでの、半年ばかりの間に、この二人はたった三度(しかも最初の一ヶ月の間に三度丈け)しか会っていない。つまり、芙蓉殺害事件は、彼等が最後に会った日から、五ヶ月もの間を置いて、彼等がお互の存在を(すで)に忘れてしまったと思われる時分に、誠に突然に起ったものである。これは何となく信じ難い、変てこな事実であった。空漠(くうばく)たる五ヶ月間が、犯罪動機と犯罪そのものとの連鎖(れんさ)を、ブッツリ断ち切っていた。それなればこそ、柾木愛造は、兇行後、あんなにも長い間、警察の目を逃れていることが出来たのである。
 だが、これは(あら)われたる事実でしかなかった。実際は、彼は、いとも奇怪なる方法によってではあったが、その五ヶ月の間も、五日に一度位の割合で、繁々と芙蓉に会っていた。そして、彼の殺意は、彼にとっては誠に自然な経路を踏んで、成長して行ったのである。
 木下芙蓉は彼の幼い初恋の女であった。彼のフェティシズムが、彼女の持物を神と祭った程の相手であった。しかも、十幾年ぶりの再会で、彼は彼女のくらめくばかり妖艶な舞台姿を見せつけられたのである。その上、その昔の恋人が、当時は口を利いた事のなかった彼女が、優しい目で彼を見、微笑みかけ、彼の思想を畏敬(いけい)し崇拝するかにさえ見えたのである。あれ程の厭人的な憶病者の柾木愛造ではあったが、流石にこの魅力に打勝つことは出来なかった。(ほか)の女からの様に、彼女から逃避する力はなかった。彼が彼女に恋を打開(うちあ)けるまでには、たった三度の対面で充分だったことが、よくそれを語っている。
 三度とも、場所は変っていたけれど、彼等は最初と同じ三人で、御飯をたべながら話をした。引張り出すのは無論池内で、柾木はいつもお相伴(しょうばん)といった形であったが、併し、芙蓉がその都度(つど)快く招待に応じたのは、柾木に興味を感じていたからだと、彼はひそかに自惚(うぬぼ)れていた。池内が気の毒にさえ思われた。芙蓉は、池内に対しては、普通の人気女優らしい態度で、意地悪でもあれば、たかぶっても見せた。相手を飜弄(ほんろう)する様な口も利いた。その様子を見ていると、彼女は柾木の一番苦手な、恐怖すべき女でしかなかったが、それが柾木に対する時は、ガラリと態度が変って、芸術の使徒(しと)としての一俳優といった感じになり、真面目に、彼の意見を傾聴(けいちょう)するのであった。そして、会うことが度重(たびかさ)なる程、彼女のこの静かなる親愛の情は、濃やかになって行くかと思われた。
 だが、気の毒な柾木は、実は大変な誤解をしていたのだ。芙蓉の様な種類の女性は、二つ面の仁和賀(にわか)と同じ様に、二つも三つもの、全く違った性格を(たくわ)えていて、時に応じ人に応じて、それを見事に使い()けるものだということを、彼はすっかり忘れていた。彼女の好意は、実は男友達の池内光太郎が彼に示した好意と同じもので、彼の、古風な小説にでもあり相な、陰欝な、思索的な性格を面白がり、優れた芸術上の批判力をめで、ただ気の置けない話相手として、親愛を示したに過ぎないことを、彼は少しも気づかなんだ。彼は自惚れの余り、池内の立場を(あわれ)みさえしたけれど、反対に池内の方でこそ、彼をあざ笑っていたのである。
 池内の最初の考えでは、愛すべき木念仁(ぼくねんじん)の友達に、彼自身の新しい愛人を見せびらかして、一寸ばかり罪の深い楽しみを味わって見ようとしたまでで、その御用が済んでしまえば、そんな第三者は、もう邪魔なばかりであった。それに、彼は、柾木の小学時代の恥かしい所業については知る所がなかったけれど、近頃の柾木の様子が、妙に熱っぽく見えて来たのも、いささか気掛りであった。彼はこの辺が切上げ時だと思った。
 三度目に会った時、次の日曜日は丁度月末で、芙蓉の身体に隙があるから、三人で鎌倉(かまくら)へ出かけようと、約束をして別れたので、柾木はその日落合う場所の通知が、今来るか今来るかと、待ち構えていても、どうした訳か、池内からハガキ一本来ないので、待兼(まちか)ねて問合わせの手紙まで出したのだが、それにも何の返事もなく、約束の日曜日は、いつの間にか過去(すぎさ)ってしまった。池内と芙蓉との間柄が、単なる知合い以上のものであることは、柾木も大方は推察していたので、若しかしたら、池内の奴、やきもちをやいているのではないかと、やっぱり自惚れて考えて、才子で好男子の池内に、それ程嫉妬をされているかと思うと、彼は寧ろ得意をさえ感じたのである。


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