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薔薇夫人(3)_江户川乱步短篇集_江户川乱步_日本名家名篇_日语阅读_日语学习网
日期:2024-10-24 10:29  点击:3337


 宮城圭助は、碌々商会の皆川常務が要談をすませて立去るのを、鄭重(ていちょう)に送り出してから、半分ほどになった葉巻を、灰皿の中におしつぶし、パンパンと、ほこりを払うように両手を打ち合せた。それから、帽子掛けの鏡の前に立って、ちょっとネクタイを直し、鼠色の合外套に袖を通し、ソフトを両手で丁寧にかむってから、デスクに引返し、一番下のひきだしから、大きな革鞄をだいじそうに取出して、小脇にかかえた。
 社長室のドアをひらいて出ると、社員達はまだ仕事をしていた。多くは机にかじりついていたが、今そとから帰って、(かばん)の中から書類を取出して、立ったまま調べている男もいた。煙草の煙を濛々(もうもう)と吹き出しながら、立話しをしているものもあった。実際社長は、そのあいだを、ニコニコしながら、出口の方へ歩いて行った。べつに社員達に云いのこすこともなかった。宮城貿易商社は、アメリカのスコット商会とうまくやっているので、社運は上昇線をたどっていた。
 立話しをしていた社員の一人が、社長を追って近づいて来た。
「社長、今日はどちらへ? この間、愛子さんが恨んでいましたぜ。たまには…………」
「コラコラ、社長に向かって何を申すか、ひかえていろ」
 二人とも低い声ではあったが、他聞を(はば)かるようでもなかった。社長が三ヶ所に妾宅を持っていることは、社内で知らぬものもなかった。社外にも響きわたっていた。宮城社長は、社員のお世辞を叱って見せたが、むろん怒っている顔ではない。商売上ではなかなかのやり手だが、女好きでお人よしの、社員にとっては、心のおけない好社長であった。
 ビルの石段をおりると、運転手がリンカーンのドアをひらいて待っていた。
「河田町」
 手近の別宅である。午後五時少しすぎ、車は河田町の四つ角でとまった。
「帰ってくれたまえ。いつもの通り、朝は迎えに来なくてもいい」
 宮城社長は、わざと別宅の一丁も手前で、車をとめさせる習慣であった。彼は車が遠ざかるのを見定めてから、例の鞄をかかえて、別宅とは逆の方角へ歩き出した。町角を四つほどすぎて、大通りに出ると、通りかかった小型自動車を呼びとめて「市ヶ谷駅」と命じた。
 市ヶ谷駅で降りた時には、いつの間にかソフトがハンチングに変っていた。そのまま駅の手洗所に入って、合外套をぬぐと、それを小さくたたんで、鞄の中へ入れた。折りたたんだソフトも、そこにはいっていた。それから、近くの駅までの切符を買い、電車には乗らないで、駅の別の出入口から町に出て、今度は中型のタクシーを拾った。
 次に水道橋駅の手洗所から出て来たときには、ズボンが折目のとれた古い薄茶色のギャバジンに変り、靴もいやに派手な型のものに一変していた。
 今度は車にのらないで、神田まで歩いて、映画館に入り、そこの手洗所で、上衣をとりかえた。ワイシャツも脱いで、太い茶色の横縞のあるジャケツを着た。それから、大型のコンパクトのようなものを取出して、ちょっとお化粧をした。
 そして、映画館の別の出入口から町に出たときには、宮城貿易商社の社長は、よたもんの親方に一変していた。髪をわざとモジャモジャにし、ハンチングの冠り方一つにも、うまくその役柄を出していた。ちょっとしたつけひげ、目立たない目の(くま)、脣のどす黒い色、その顔からは宮城圭助を思い出させるものが、すっかり消えうせていた。
 再び小型タクシーを拾って、神田駅へ。そこの一時預り所に鞄をあずけてから、近くの飲み屋横町へ急いだ。手のこんだ変装のために一時間以上を費したので、もうあたりは真暗になっていた。
 飲み屋の軒を並べた横町の一軒、ブルウ・エンゼルに入ると、店にはまだ一人の客もなく、ガランとしていた。カウンターにいた男ボーイが、「いらっしゃい」と、あいさつした。宮城は、それにちょっとうなづいて見せて、奥の階段を二階へ上って行った。二階は主人の住いとして、客は上げないことになっていた。
 二階は二間で、一方は六畳の畳敷き、一方は四畳半にベッドを置いて、(あい)の仕切りに血のような色のカーテンが深く垂れていた。六畳の方には、腰かけるとビーンと音がして、ゼンマイの針金が尻にこたえる古ソファ、それに籐椅子が二脚と、汚れた丸テーブル、大きな桃色のシェードをかけた、薄暗い電気スタンド。
 宮城が籐椅子にかけると、カーテンの向うで何かしていたマスターの孝ちゃんが、ジャンパー姿で顔を出した。
「きょうはお早いのね。お待ちかねでしょう」
「ウン、七時までに来るはずだったね。おれ、腹がへってるんだ。へんなものはいらない。いつものサンドイッチがいい。それとスコッチ。早くしてくれ」
 マスターは「あいよ」と答えて、階段をギシギシいわせながら降りて行ったが、じきに銀メッキの盆の上にサンドイッチの皿と、ウイスキーの瓶とグラスを二つそろえて持って来た。
「さあ、いっぱい」
 宮城はマスターについでやって、自分もグラスに半分ほど、グイとやってから、サンドイッチをつまんだ。脣をペチャペチャ云わせる下品なたべかただ。なかなか芸がこまかいのである。
「ねえ、園田の親分、またちょっと苦しいのですよ。ね、お願い」
「ふん、もうかい。ちかごろヒンパンだな」
「親分も、ここをヒンパンにお使いになるでしょう」
「うん、わかった。サア、きょうはこれだけ」
 園田と呼ばれる宮城は、ズボンのポケットから、無造作に札束を一握り取出して、マスターの孝ちゃんに渡した。


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