二
何がどうなったのですか、兎も角も夢中で御婚礼を済せて、一日二日は、夜さえ眠ったのやら眠らなかったのやら、舅姑がどの様な方なのか、召使達が幾人いるか、挨拶もし、挨拶されていながらも、まるで頭に残っていないという有様なのでございます。するともう、里帰り、夫と車を並べて、夫の後姿を眺めながら走っていても、それが夢なのか現なのか、……まあ、私はこんなことばかりおしゃべりしていまして、御免下さいまし、肝心の御話がどこかへ行ってしまいますわね。
そうして、御婚礼のごたごたが一段落つきますと、案じるよりは生むが易いと申しますか、門野は噂程の変人というでもなく、却て世間並よりは物柔かで、私などにも、それは優しくしてくれるのでございます。私はほっと安心いたしますと、今までの苦痛に近い緊張が、すっかりほぐれてしまいまして、人生というものは、こんなにも幸福なものであったのかしら、なんて思う様になって参ったのでございます。それに舅姑御二人とも、お嫁入前に母親が心づけてくれましたことなど、まるで無駄に思われたほど、好い御方ですし、外には、門野は一人子だものですから、小舅などもなく、却て気抜けのする位、御嫁さんなんて気苦労の入らぬものだと思われたのでございました。
門野の男ぶりは、いいえ、そうじゃございませんのよ。これがやっぱり、お話の内なのでございますわ。そうして一しょに暮す様になって見ますと、遠くから、垣間見ていたのと違って、私にとっては、生れてはじめての、この世にたった一人の方なのですもの、それは当り前でございましょうけれど、日が経つにつれて、段々立まさって見え、その水際立った男ぶりが、類なきものに思われ初めたのでございます。いいえ、お顔が綺麗だとか、そんなことばかりではありません。恋なんて何と不思議なものでございましょう、門野の世間並をはずれた所が、変人というほどではなくても、何とやら憂鬱で、しょっちゅう一途に物を思いつづけている様な、しんねりむっつりとした、それで、縹緻はと申せば、今いう透き通る様な美男子なのでございますよ、それがもう、いうにいわれぬ魅力となって、十九の小娘を、さんざんに責めさいなんだのでございます。
ほんとうに世界が一変したのでございます。二た親のもとで育てられていた十九年を現実世界にたとえますなら、御婚礼の後の、それが不幸にもたった半年ばかりの間ではありましたけれど、その間はまるで夢の世界か、お伽噺の世界に住んでいる気持でございました。大げさに申しますれば、浦島太郎が乙姫様の御寵愛を受けたという龍宮世界、あれでございますわ、今から考えますと、その時分の私は、本当に浦島太郎の様に幸福だったのでございますわ。世間では、お嫁入りはつらいものとなっていますのに、私のはまるで正反対ですわね。いいえ、そう申すよりは、そのつらい所まで行かぬ内に、あの恐ろしい破綻が参ったという方が当たっているのかも知れませんけれど。
その半年の間を、どの様にして暮しましたことやら、ただもう楽かったと申す外に、こまごましたことなど忘れても居りますし、それに、このお話には大して関係のないことですから、おのろけめいた思出話は止しにいたしましょうけれど、門野が私を可愛がってくれましたことは、それはもう、世間のどの様な女房思いの御亭主でも、とても真似も出来ないほどでございました。無論私は、それをただただ有難いことに思って、いわば陶酔してしまって、何の疑いを抱く余裕もなかったのでございますが、この門野が私を可愛がり過ぎたということには、あとになって考えますと、実に恐しい意味があったのでございます。といって、何も可愛がり過ぎたのが破綻の元だと申す訳ではありません、あの人は、真心をこめて、私を可愛がろうと努力していたに過ぎないのでございます。それが決して、だましてやろうという様な心持ではなかったのですから、あの人が努力すればするほど、私はそれを真に受けて、真から手頼って行く、身も心も投げ出してすがりついて行く、という訳でございました。ではなぜ、あの人がそんな努力をしましたか、尤もこれらのことは、ずっとずっと後になって、やっと気づいたのではありますけれど、それには、実に恐ろしい理由があったのでございます。