八
それほど私を驚かせたものが、ただ一個の人形に過ぎなかったと申せば、あなたはきっと「なあんだ」とお笑いなさるかも知れません。ですが、それは、あなたが、まだ本当の人形というものを、昔の人形師の名人が精根を尽くして、拵え上げた芸術品を、御存知ないからでございます。あなたはもしや、博物館の片隅なぞで、ふと古めかしい人形に出あって、その余りの生々しさに、何とも知れぬ戦慄をお感じなすったことはないでしょうか。それが若し女児人形や稚児人形であった時には、それの持つ、この世の外の夢の様な魅力に、びっくりなすったことはないでしょうか。あなたは御みやげ人形といわれるものの、不思議な凄味を御存知でいらっしゃいましょうか。或は又、往昔衆道の盛んでございました時分、好き者達が、馴染の色若衆の似顔人形を刻ませて、日夜愛撫したという、あの奇態な事実を御存知でいらっしゃいましょうか。いいえ、その様な遠いことを申さずとも、例えば、文楽の浄瑠璃人形にまつわる不思議な伝説、近代の名人安本亀八の生人形なぞを御承知でございましたなら、私がその時、ただ一個の人形を見て、あの様に驚いた心持を、十分御察し下さることが出来ると存じます。
私が長持の中で見つけました人形は後になって、門野のお父さまに、そっと御尋ねして知ったのでございますが、殿様から拝領の品とかで、安政の頃の名人形師立木と申す人の作と申すことでございます。俗に京人形と呼ばれておりますけれど、実は浮世人形とやらいうものなそうで、身の丈三尺余り、十歳ばかりの小児の大きさで、手足も完全に出来、頭には昔風の島田を結い、昔染の大柄友染が着せてあるのでございます。これも後に伺ったのですけれど、それが立木という人形師の作風なのだそうで、そんな昔の出来にも拘らず、その女児人形は、不思議と近代的な顔をしているのでございます。真ッ赤に充血して何かを求めている様な、厚味のある唇、唇の両脇で二段になった豊頬、物いいたげにパッチリ開いた二重瞼、その上に大様に頬笑んでいる濃い眉、そして何よりも不思議なのは、羽二重で紅綿を包んだ様に、ほんのりと色づいている、微妙な耳の魅力でございました。その花やかな、情慾的な顔が、時代のために幾分色があせて、唇の外は妙に青ざめ、手垢がついたものか、滑かな肌がヌメヌメと汗ばんで、それゆえに、一層悩ましく、艶かしく見えるのでございます。
薄暗く、樟脳臭い、土蔵の中で、その人形を見ました時には、ふっくらと恰好よくふくらんだ乳のあたりが、呼吸をして、今にも唇がほころびそうで、その余りの生々しさに私はハッと身震を感じたほどでありました。
まあ何ということでございましょう、私の夫は、命のない、冷たい人形を恋していたのでございます。この人形の不思議な魅力を見ましては、もう、その外に謎の解き様はありません。人嫌いな夫の性質、蔵の中の睦言、長持の蓋のしまる音、姿を見せぬ相手の女、色々の点を考え合せて、その女と申すのは、実はこの人形であったと解釈する外はないのでございます。
これは後になって、二三の方から伺ったことを、寄せ集めて、想像しているのでございますが、門野は生れながらに夢見勝ちな、不思議な性癖を持っていて、人間の女を恋する前に、ふとしたことから、長持の中の人形を発見して、それの持つ強い魅力に魂を奪われてしまったのでございましょう。あの人は、ずっと最初から、蔵の中で本なぞ読んではいなかったのでございます。ある方から伺いますと、人間が人形とか仏像とかに恋したためしは、昔から決して少くはないと申します。不幸にも私の夫がそうした男で、更に不幸なことには、その夫の家に偶然稀代の名作人形が保存されていたのでございます。
人でなしの恋、この世の外の恋でございます。その様な恋をするものは、一方では、生きた人間では味わうことの出来ない、悪夢の様な、或は又お伽噺の様な、不思議な歓楽に魂をしびらせながら、しかし又一方では、絶え間なき罪の苛責に責められて、どうかしてその地獄を逃れたいと、あせりもがくのでございます。門野が、私を娶ったのも、無我夢中に私を愛しようと努めたのも、皆そのはかない苦悶の跡に過ぎぬのではございませんか。そう思えば、あの睦言の「京子に済まぬ云々」という、言葉の意味も解けて来るのでございます。夫が人形のために女の声色を使っていたことも、疑う余地はありません。ああ、私は、何という月日の下に生れた女でございましょう。