「だが、昨夜の趣向は確に秀逸だったね。まさか、あの覆面の女が、てんでんの女房たあ気がつかないやね」
「あけてくやしき玉手箱か」
そして、彼等は声を揃えて笑うのです。
「無論、最初札を渡す時に夫妻同一番号にして置いたんだろうが、それにしても、あれだけの人数がよく間違わなかったね」
「間違ったら大変ですよ。だから、その点は十分気をつけてやりました」井関さんが答えるのです。
「井関さんから予め旨を含めてあったとはいえ、女房連、よくやって来たね。あれが自分の亭主だからいいようなものの、味を占めて外の男にあの調子でやられちゃ、たまらないね」
「危険を感じます、かね」
そして、またもや笑声が起りました。
それらの会話を聞く内に、私は最早やじっと坐っているに耐えなくなりました。多分私の顔はまっ青であったことでしょう。これですっかり事情が分りました。井関さんは、あんなに自信のあるようなことを云っていますが、どうかした都合で、私だけ相手が間違ったのです。自分の女房の代りに春子さんと組合ったのです。私は運悪くも、偶然、恐しい間違いに陥されてしまったのです。
「だが」私はふと、もう一つの恐しい事実に気づきました。冷いものが、私の脇の下をタラタラと流れました。「それでは、井上次郎は一体誰と組んだのであろう?」
云うまでもないことです。私が彼の妻と踊ったように、彼は私の妻と踊ったのです。オオ、私の女房が、あの井上次郎と? 私は眩暈のために倒れそうになるのをやっとこらえました。
それにしても、それはまた、何という恐しい錯誤でありましょう。挨拶もそこそこに、井関さんの家を逃れ出した私は、車の中で、ガンガンいう耳を押えながら、どこかにまだ、一縷の望みがあるような気がして、いろいろと考え廻すのでありました。
そして、車が家へつく頃、やっと気がついたのは、例の番号札のことでした。私は車を降りると家の中へ駈け込み、書斎にあった、変装用の服のポケットから、その番号札を探し出しました。見ると、そこには横文字で、十七と記されています。ところで、昨夜の私達の番号は、私ははっきり覚えていました。それは十一なのです。分りました。それは井関さんの罪でも、誰の罪でもないのです。私自身の取返しのつかぬ失策なのです。私は井関さんから前以てその札を渡された時、間違わぬようにと、くれぐれも注意があったにも拘らず、よくも見て置かないで、あの会場の激情的な空気の中で、そぞろ心に見たのです。そして1と7とを間違えて、十一番と呼ばれた時に返事をしたのです。でも、ただ番号の間違いくらいから、こんな大事を惹起そうとは、誰が想像しましょう。私は、二十日会などという気まぐれなクラブに加入したことを、今更ら後悔しないではいられませんでした。
それにしても、井上までがその番号を間違えたというのは、どこまでいたずらな運命でしょう。恐らく彼は、私が十一番の時に答えたため、自分の札を十七番と誤信してしまったのでしょう。それに井関さんの数字は、7を1と間違い易いような書体だったのです。
井上次郎と私の妻とのことは、私自身の場合に引比べて、推察に難くありません。私の変装については、妻は少しも知らないのですし、彼等も亦、私同様、狂者のように酔っぱらっていたのですから。そして、何よりの証拠は、一間にとじ籠って、私に顔を見せようともせぬ、妻のそぶりです。もう疑う所はありません。
私はじっと書斎に立ちつくしていました。私には最早ものを考える力もありませんでした。ただ、焼きつくように私の頭を襲うものは、恐らく一生涯消え去る時のない、私の妻に対する、井上次郎に対する、その妻、春子に対する、唾棄すべき感情のみでありました。