その墓地というのは、S市郊外のある山の中腹を掘って、石垣を築き、漆喰で頑丈にかためた、二十畳敷程の、石室の様なもので、先祖代々の棺が、その中にズラリと並べてあるのだ。入口には厚い鉄の扉をつけ、厳重に錠前をおろし、十年に一度二十年に一度葬式の場合の外は、滅多に開かぬことになっていた。そんな風にして、死体を出来る丈け長く保存し、子孫のものは、いつでもそこへ行けば、先祖に逢えるという様な考えで、作られたものかも知れない。わしの地方では、それを「殿様の墓」と云って、名所の一つになっていた程だ。
それから、もう一つ丈け云って置き度いことがある。
もう二十年も前の話だから、皆さんは覚ても居ないだろうが、丁度わしの身の上に、恐ろしい変化がやって来た当時、黄海一帯の沿岸からあの辺の海岸や島々をかけて荒らし廻る、大仕掛けな支那人の海賊団があった。そのことは東京の新聞にさえのった程だから、記憶のよい人は、今でも覚ているかも知れぬ。首領の名は、朱凌谿と云って、関羽髯を生やした雲つくばかりの大男であった。わしはそいつと物を云ったこともあるので、よく知っている。大きな帆前船を持ち、何十人という子分を養い、数年の間、巧に支那日本の官憲の目をくらまして、莫大な金銀をかすめ取った、稀代の海賊であった。その朱凌谿がまた、わしの物語に、なかなか大切な役目を勤めているのだ。あいつがいなかったら、わしもこの様な身の上にならなくて済んだかも知れない程だ。
今時海賊なんているものかと、本当にしない人があるといけないから、念の為にお断りして置く。今でも海賊がないことはない。風の便りに聞けば、何とやら云う日本人が、つい一二年前北の方の海で露西亜人を対手に、海賊を働いて、刑務所につながれたということではないか。当時の朱凌谿という奴も、その何とやらいう日本人に劣らぬ、有名な海賊であった。朱凌谿のかすめ貯めた財宝は無尽蔵だと、支那の金持ちなどは、羨ましがっていたという位だ。
イヤ、前置きが長くなって、ご退屈じゃろう。それでは、これから愈々わしの恐ろしい身の上話を始めることにする。
異様な前置き(2)_江户川乱步短篇集_江户川乱步_日本名家名篇_日语阅读_日语学习网
日期:2024-10-24 10:29 点击:3337
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