極楽世界
あの事が起るまでは、わし程幸福な人間は、又となかったといっても、過言ではない。
先祖の居城がS市の真中に今でも残っているが、わしはそこで生れた訳ではない。わしの父の代に御維新が来て、子爵を頂く頃には、S市の港を眼下に見おろす、景色のよい丘の上に、立派な邸を建てて、一家はそこへ引移っていた。今では、その邸も遠縁のものの手で管理されているが、そこで育った子供の時分を回想すると、何かこう春風でも吹いて来る様で、懐かしくて耐らないのだ。
わしは生れて間もなく母に別れ、十七の時まで父の訓育を受けて育ったが、その父も死んでしまって、わしは十七歳という若い身空で、金満華族と云われた、莫大な財産の持主となった。
お金はあり余る。父母は死んでしまった。兄弟とてもないという、呑気至極な身の上となったが、わしは外の金持の息子の様に、酒色にふける様なことはなかった。父のきびしい教えが身にしみたのか、今思っても実に真面目な青年であった。
家は忠実な執事に任せて置いて、二十歳から二十八歳まで、高等教育を受ける為に、東京へ遊学した。その間の楽しさも忘れられぬ。わしには一人の賢い美しい男友達が出来た。わしは大学の哲学科に、彼は美術学校の洋画科に通っていたが、寄寓している場所が近かったので、ふとしたことから友達になり、遂にはお互に離れられぬ、恋人同志の様な親友になってしまった。
川村義雄と云って、わしよりは三つも年下であったが、貧家に育った為に、世間のことは、兄分のわしよりもずっと明るく、容貌の点でも、わしとは比べものにならぬ程美しかった。
学校を卒業すると、わしはその川村を伴って故郷のS市へ帰った。川村は学校は出たけれど、画の方で生活するのは、なかなか難しかったし、それに、もっと勉強を続けたいという希望もあったので、画の勉強なれば、何も東京に限りはすまい。却て、景色のよい九州の海岸で、静かに絵筆に親しむがよかろうと、わしが切に勧めて、同伴したのだ。帰郷すると、わしは早速、彼の為に、丁度売りに出ていた、ある外人のアトリエを買入れて、わしの費用で、そこに住まわせることにした。
わしは毎日、S港を見はらす書斎で、好きな読書に耽り、読書にうむと、川村を呼び寄せたり、こちらから出向いたりして、気のおけぬ会話に興じ、或は手を携えて近くの名所へ小旅行を催したりした。わしはそれで充分満足していた。外に楽しみを求める気は起らなかった。
わしらはよく、女というものについて論じ合った。わしは友達の間で、女嫌いの変物の様に云われていたが、川村は決してそうではなかった。寧ろ女性の讃美者であった。
川村が女のことを云い出すと、わしは苦い顔をした。
「女なんて、男のあばら骨一本にしか価しないのだよ。あいつらは高尚な思想も分らなければ、優美な芸術も理解しない、劣等種族に過ぎないのだよ」
わしは昔の哲学者達が、女性に加えた悪罵の数々を、長々と弁じ立てるのが常であった。
ところが、ところがだ。
人の心程当にならぬものはない。その女嫌いの、変物の、このわしが、恋をしたのだ。フフフ……、恋をしたのだ。恥かしいことだが、その娘を一目見たばかりで、わしの哲学も、わしの人生も、何もかも朝日の前の雪の様に、あと方もなく溶けうせてしまったのだ。
名前は瑠璃子というのだが、中国筋の零落士族の娘で、当時十八歳、咲きそめた紅梅の様に、匂やかにも美しい乙女であった。それが、女学校を卒業した記念か何かで、母親に連れられて、S市を見物に来ているのを、わしは散歩の途中で、深くも見染めてしまったのだ。わしは恥かしさをしのんで、執事の北川にこの縁談を取結んでくれる様に、頼み込んだ。調べて見ると、貧乏はしているけれど、家柄は悪くない。本人も誠に躾の行き届いた、かしこい娘だ。子爵夫人として決して恥かしくはない。
親族の中には、不賛成を唱えるものもないではなかったが、何を云うにも、本人のわしが、あの娘を貰ってくれなければ、死んでしまうという見幕だから、結局無理を押し通して、結婚式を上げる運びとなった。そして、わしは生れて初めて女というものを知ったのだ。しかも、その名の如く、瑠璃の様に美しい女をだ。