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灰神楽(4)_江户川乱步短篇集_江户川乱步_日本名家名篇_日语阅读_日语学习网
日期:2024-10-24 10:29  点击:3336


 だが、彼のこの安心も、畢竟(ひっきょう)寝床の中だけのものであった。翌朝(よくちょう)、殆ど一睡もしなかった彼の前に、第一に来たものは、恐しい記事をのせた新聞であった。そして、その記事の内容がたちまち彼の心臓を軽くした。そこには二段抜きの大見出しで、奥村一郎の惨死が報道されていた。検死の模様も簡単に(しる)されてあった。
「……前額(ぜんがく)の中央に弾痕のある点ピストルの落ちていた位置(など)(もっ)て見るも自殺とは考えられぬ、其筋(そのすじ)では他殺の見込みを以て、已に犯人捜索に着手した」
 そういう意味の二三行が、ギラギラと、庄太郎の(まなこ)に焼きついた。彼はそれを読むと、何か急用でも思いついたかの様に、いきなりガバと蒲団から起き上った。だが、起き上ってどうしようというのだ。彼は思い直して又蒲団の中へもぐり込んだ。そして、すぐ側に怖いものでもいる様に、頭から蒲団をかぶると、身を縮めてじっとしていた。
 一時間ばかりの後(その(あいだ)彼がどんな地獄を(あじわ)ったかは読者の想像に(まか)せる)彼はそそくさと起き上ると、着物を着換えて外へ出た。茶の間を通る時、宿の主婦が声をかけたけれど、彼は聞えぬのか返事もしなかった。
 彼は何かに引きつけられる様に、恋人の所へ急いだ。今逢って置かなければ、もう永久に顔を見る機会がない様な気がするのだ。ところが、一里の道を電車に揺られて、彼女を訪ねた結果はどうであったか。そこにも(また)、恐しい疑いの目が彼を待っていたのだ。彼女は無論事件を知っていた。そして、日頃の事情から推して、当然庄太郎に一種の疑いを抱いていた。実はそうではなかったのかも知れないけれど、(すね)に傷持つ庄太郎には、そうとしか考えられなかった。第一に、追いつめられた獣物(けもの)の様な庄太郎の様子が、相手を驚かせた。それを見ると彼女の方でも青ざめた。
 折角(せっかく)逢いは逢いながら、二人はろくろく話を(かわ)すことも出来なかった。庄太郎は相手の目に疑惑の色を読むと、其上(そのうえ)じっとしてはいられなかった。座敷に通ったかと思うともう(いとま)を告げていた。そして今度はどこという(あて)もなく、フラフラと街から街を彷徨(さまよ)った。どこまで逃げても、たった五尺の身体(からだ)を隠す場所がなかった。
 日の暮れがたになって、ヘトヘトに疲れ切った庄太郎は、やっぱり自分の宿へ帰る(ほか)はなかった。宿の主婦は(わずか)一日の間に、大病人の様に()せ衰えた彼を、不思議相に眺めた。そして、狂者の様な彼の目つきにおずおずしながら一枚の名刺を差出した。その名刺の主が彼の不在中に訪ねて来たというのだ。そこには「○○警察署刑事 ○○○○」と印刷されてあった。
「アア刑事ですね、僕の所へ刑事が訪ねて来るなんて、こいつは大笑いですね、ハハ……」
 思わずそんな無意味な言葉が彼の口をついて出た。彼はそうしてゲラゲラと笑い出した。だが口(だけ)は馬鹿笑いをしていても、彼の顔つきは少しもおかし相には見えなかった。その異様な態度が更に主婦を驚かせた。
 その晩おそくまで、彼は殆ど放心状態でいた。考えようにも考える事がない様な、(あるい)は余りにありすぎて、どれを考えていいのか分らない様な、一種異様の気持であった。が、やがて、いつもの、「夜の楽観」が、彼を訪れた。そして、いくらか思考力を取り返すことが出来た。
「俺は一体何を恐れていたのだろう」
 考えて見れば、昼間の焦燥(しょうそう)は無意味であった。仮令(たとい)奥村一郎の死が他殺と断定されようと、恋人が彼に疑惑の目を向けようと、或は又刑事探偵が訪ねて来ようと、何も彼が有罪と(きま)った訳ではないのだ。彼等には一つも証拠というものがないではないか。それは単に疑惑に過ぎぬ。いやひょっとしたら彼自身の疑心暗鬼(ぎしんあんき)かも知れないのだ。
 だが、決して安心することは出来ぬ。なる程、額の真中を撃って自殺する奴もなかろうから、警察が他殺と判断したのは無理でない。とすると、そこには下手人(げしゅにん)が必要だ。現場に何の証拠もなければ、警察は被害者の死を願う様な立場にある人物を探すに相違ない。奥村一郎は日頃敵を持たぬ男だった。庄太郎を外にして、そんな立場の人物が存在するであろうか。それに悪いことは、弟の奥村二郎が、彼等の間の恋の葛藤(かっとう)をよく知っていたことである。二郎の口から、それが警察に()れないとどうして云えよう。現に今日の刑事とても、二郎の話を聞いた上で、十分疑いを持ってやって来たのかも知れないではないか。
 考えるに従って、やっぱり逃れる(みち)はない様な気がする。だが、果して絶体絶命であろうか、何かしらこの難関を切抜ける方法がないものであろうか。それから一晩の間、庄太郎は全身の智慧(ちえ)をしぼり尽して考えた。異常の興奮が彼の頭脳を此上もなく鋭敏にした。ありとあらゆる場合が、彼の目の前に浮んでは消えた。
 ある刹那、彼は殺人現場の幻を描いていた。そこには額の穴から血膿(ちうみ)を流して倒れている奥村一郎の姿があった。キラキラ光る拳銃(ピストル)があった。煙があった。桐の火鉢の五徳(ごとく)の上に、(なか)ば湯をこぼした鉄瓶があった。濛々(もうもう)立籠(たちこ)めた灰神楽があった。
「灰神楽、灰神楽」
 彼は心の中でこんな言葉を繰返した。そこに何かの暗示を含んでいる様な気がするのだ。
「灰神楽……桐の大火鉢……火鉢の中の灰」
 そして、彼はハタとある事に思い及んだ。暗澹(あんたん)たる闇の中に一縷(いちる)の光明が燃え始めた。それは犯罪者の屡々(おちい)る馬鹿馬鹿しい妄想であったかも知れない。第三者から見れば一顧(いっこ)の価値もない愚挙であったかも知れない。併しこの際の庄太郎にとっては、その考えが、天来(てんらい)福音(ふくいん)(ごと)く有難いものに思われるのだった。そして、考えに考えた挙句(あげく)、結局彼はその計画を実行して見ることに腹を極めた。
 そう事が極ると、二昼夜に(わた)る不眠が、彼を恐しい熟睡に誘った。翌日の昼頃まで、彼は何も知らないで、泥の様に(ねむ)った。


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