五
庄太郎の突拍子もない計画は、まんまと成功したのである。あの調子なら、二郎は今に耐らなくなって、彼が事実だと信じている事柄を、警察に申出るに相違ない。よしその以前に、庄太郎が嫌疑者として捉われる様なことがあっても、二郎の申出さえあれば、訳なく疑いを晴すことが出来る。彼の捏造した推理には、単なる事情推定による嫌疑者を釈放するには、十分過ぎる程の真実味があるのだ。のみならず、それが自分の過失から兄を殺したと信じている二郎の口によって述べられる時は、一層の迫真性が加わる訳でもあった。
庄太郎は最早や十分安心することが出来た。そして、昨日の刑事がいずれ又やって来るであろうが、彼が来た時にはああしてこうしてと、手落なく謀を廻すのであった。
その次の日の昼過ぎに、案の定○○警察署刑事 ○○○○氏が庄太郎の下宿を訪れた。宿の主婦が囁き声で、
「又この間の人が来ましたよ」
といって、その名刺を彼の机の上に置いた時にも、彼は決して騒がなかった。
「そうですか、ナニいいんですよ、ここへ通して下さい」
すると、やがて階段に刑事の上って来る跫音が聞えた。だが、妙なことには、それが一人の跫音ではなく、二人三人のそれらしく感じられるのだ。「おかしいな」と思いながら待っている目の前に、先ず刑事らしい男の顔が現れ、そのうしろから、意外にも奥村二郎の顔がひょいと覗いた。
「さては、先生もうあの事を警察に知らせたのだな」
庄太郎はふとほほえみ相になったのを、やっと堪えた。
だが、あれは一体何者であろう。二郎の次に現れた、商人体の男は。庄太郎はその男をどっかで見た様な気がした。併し、いくら考えて見ても、どうした知合いであるか、少しも思い出せないのだ。
「君が河合庄太郎か」刑事が横柄な調子で云った「オイ、番頭さん、この人だろうね」
すると、番頭さんと呼ばれた商人体の男は即座にうなずいて見せて、
「エエ、間違いございません」
というのだ。それを聞くと、庄太郎はハッとして思わず立ち上った。彼には一瞬間に一切の事情が分った。最早や運のつきなのだ。それにしても、どうしてこうも手早く、彼の計画が破れたのであろう。二郎がそれを見破ろうとはどうしても考えられない。彼はボールを打った本人である。時間も一致すれば、お誂え向きに障子が開いていたばかりか、鉄瓶さえ覆っていたのだ。この真に迫ったトリックを、どうして彼が気附くものか。それはきっと、何か庄太郎自身に、錯誤があったものに相違ない。だが、それは一体どの様な錯誤であったろう。
「君は実際ひどい男だね。僕はうっかりだまされて了う所だった」二郎が腹立たしげに怒鳴った「だが気の毒だけれど、君はあんな小刀細工をやったばかりに、もう動きのとれない証拠を作って了ったのだよ。あの時には、僕も気がつかなかったけれど、あすこにあった火鉢は、あれは兄が殺された時に同じ場所に置いてあったのとは、別の火鉢なのだよ。君は灰神楽のことをやかましく云っていたが、どうしてそこへ気附かなかったのだろうね。これが天罰というものだよ。灰神楽の為に灰がすっかり固って了って、使えなくなったものだから、婆やが別の新しい火鉢と取り替えて置いたのだよ。それは灰を入れてから一度も使わぬ分だから、ボールなんぞ落ち込む道理がないのだ。君は僕の家に同じ桐の火鉢が一つしかないとでも思っているのかい。昨夜始めてそのことが分った。僕は君の悪企みにほとほと感心して了ったよ。よくもあんな空事を考え出したもんだね。僕はその当時あの部屋になかった火鉢にボールが落ちているとはおかしいと思って、よく考えて見ると、どうも君の話し方に腑に落ちない所がある。で、兎も角、今日早朝刑事さんに話して見たのだ」
「運動具を売っている家は、この町にも沢山はないから、すぐ分ったよ。君はこの番頭さんを覚えていないかね。昨日の昼頃、君はこの人からボールを一箇買取ったではないか。そして、それを泥で汚して、さも古い品の様に見せかけて、奥村さんの所の火鉢へ入れたのじゃないか」刑事が吐き出す様に云った。
「自分で入れて置いて、自分で探し出すのだから、訳ないや」二郎が大きな声で笑い出した。
庄太郎こそは、正に御念の入った「犯罪者の愚挙」を演じたものに相違なかった。