「あれ、あれをごらんなさい。あの火はいったいなんでしょう」
神谷の言葉に彼方を眺めると、いかにも、森の中の怪屋のあたりとおぼしく、一団の火焔が、大きな狐火のようにメラメラと燃えている。
「おや、火事じゃないか」
「ウン、そうだ。おい君、君が逃げ出す時に、シャツやなんかに火をつけてきたと言ったね。それが燃えひろがったんじゃないか」
警官が口々に言う。
「いや、そんなはずはありませんよ。高が一とかたまりの布切れですもの。老人が踏み消してしまったに違いありません。それにもしあれがもとだとすると、もっと早く燃えひろがっていなければなりません」
神谷は不思議に耐えなかった。
ともかくも行ってみようと、歩き出して、だんだん森に近づくにつれ、刻一刻火焔は大きくなりまさり、彼らがそこに到着した時には、もう手もつけられない本物の火災になっていた。
パチパチと物のはぜる音、窓という窓から吹き出す赤黒い火焔の舌、ムクムクと舞い上がる黒けむり、早くも棟の一部のくずれ落ちる大音響、パッと立ち昇る火の粉、森全体が白昼のように明るく、立ち並ぶ木の幹が、みな半面を朱に染めて、クッキリと浮き上がってみえた。
「ウム、やつらは罪跡をくらますために、自分で火をつけたのだ。もう今頃はどっかへ行方をくらましてしまったに違いない。おい、誰か署へ帰って、非常線の手配を頼んでくれたまえ。それから消防だ。もうこうなってはわれわれの出る幕じゃない。ともかくも火を消すことが第一だ」
おもだった警官の命令に、一人の警官が懐中電燈をふり照らしながら、駈け出していった。
残った人々は、火焔を遠巻きにして、怪屋の周囲をグルグル歩きまわり、怪しい人影もやと眼をくばったが、悪人たちがその頃まで現場にうろうろしているはずはなく、あかあかと照らし出された森の中には、なんの怪しいけはいもなかった。
かくして、恩田父子は、殺人罪目撃者に逃げ出された窮余の一策、わが巣窟に火をかけて、あらゆる罪跡を湮滅し、いずれともなく姿を消してしまったのだ。
彼らが処罰を恐れて姿をくらましたことは言うまでもない。だが、いかに処罰を恐れたからといって、あの血に飢えた獣人が、これ限りその爪牙を隠して一生を終ることができるであろうか。いや、それよりも、彼らの大切な巣窟を焼かしめ、彼らの犯罪をその筋に告げ知らせた神谷に対する怨恨を、果たして忘れ去ることができるであろうか。一匹の野獣を失ったばかりに、平然と弘子の命を断った彼らだ。それに比べては幾層倍のこの恨み、ただ単純に神谷の生命を狙うだけで満足しようとは考えられぬではないか。
神谷は果たして安全でいることができるであろうか。たとえ彼自身の生命は安全であっても、何かしらそれ以上に彼を苦しめ悩ますようなことが起こりはしないであろうか。
また神谷のがわからいえば、恩田父子は、憎んでも憎み足りない仇敵であった。彼は、草の根を分けても彼らを探し出し、この恨みをはらしたいと願った。
深讐綿々たる対立、ああ、彼らの行く手には、果たしてどのような運命が待ち構えていたことであろう。