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悪魔の足跡(2)_人豹(双语)_江户川乱步_日本名家名篇_日语阅读_日语学习网
日期:2024-10-24 10:29  点击:3336

「アハハハハハ、驚いたかね」
 突如として、(とら)が物をいった。
 神谷はそれを聞くと、心底からたまげてしまった。夢にしてもなんという変てこな夢であろう。
「神谷君、君はこの声を忘れたかね。忘れるはずはないんだがね。思い出してみたまえ、ほら、一年ほど前、カフェ・アフロディテで、君がはじめて聞いた声だ」
 虎が陰気な声でしゃべりつづけた。
 わかった、わかった、こいつは人間(ひょう)恩田なのだ。それにしても、彼はいつの間に猛虎(もうこ)の姿になったのだろう。今までは、虎が人間に化けていたのかしら。
「だまっているね。おれの名を口に出すのが、君は(こわ)いのかね。それじゃ名乗ってやろう。おれは恩田だよ。君の愛人を奪おうとした恩田だよ」
 そこまで聞くと、神谷は、すべてを了解することができた。こいつは芝居に使う虎の縫いぐるみをかぶっているのだ。そういう変装をして捜索の眼をのがれ、劇場を抜け出してきたのに違いない。
「き、貴様、蘭子を、どこへ隠したのだ」
 神谷は精一杯の気力をふるい起こしてきめつけた。
「隠しやしない。蘭子は、もうちゃんと自宅へ帰っているよ。どっさり護衛がついてね。君はその()の出来事をまだ聞いていないとみえるね。おれはしくじったのだよ。とうとう隠れ場所を発見されてね。蘭子を取り戻されてしまったのだよ。ハハハハハ。だが、なんでもないんだ。ちょっと失敗したというまでのことさ」
「それはほんとうか」
「ほんとうとも。ほんとうだからこそ、ちょっと君に警告するために、やってきたんだよ。なに、じき帰るから心配しないでもいい。ここで君を(つか)み殺すのはわけはないがね。それじゃ、あんまり()しい気がするのだよ。いずれは君も生かしちゃおかないつもりだが、それは、もっともっと苦しめたあとのことだよ。ハハハハハ」
 虎は月光に頸筋(くびすじ)の毛を(ふる)わせて、人もなげに哄笑(こうしょう)した。母屋(おもや)の家人に聞こえはしないかと、神谷の方がかえってヒヤヒヤするほどであった。
「だが、そんなことよりも、君自身もう少し用心しなくてもいいのかね。たとえば、いま僕が大声で助けを求めたら、君の方が危なくはないのかね」
 神谷はだんだん大胆になっていた。
「ウフフフフ、大声を立てるんだって? 君はそんなことできやしないよ。家族の命が惜しいだろうからね。もしここへ誰かが飛び出してきたら、おれは容赦なく掴み殺してしまうぜ」
「いったい貴様は僕になんの用事があるんだ」
「おお、そうそう、すっかり忘れていたよ。蘭子のことさ。おれは一度失敗したくらいで、あの女を(あきら)めやしない。諦めないということを、君に告げ知らせにきたんだ。どうせ君はあらゆる防禦(ぼうぎょ)手段を講じるだろう。そうして君がやっきとなればなるほど、おれにとっては思う(つぼ)だぜ。つまりだね、君が死にもの狂いに守っている愛人を奪い取って、君を思う存分苦しめてやりたいのさ。ハハハハハ、じゃあ、せいぜい用心したまえ」
 言い終ると、彼は突然四つん()いになって、月光の中を、本物の(とら)とそっくりの歩き方で、ノソノソと庭を横ぎって行った。そして、パッと一と飛びすると、そこの(へい)を飛び越えて、恐ろしい姿を消してしまった。あとには、やわらかい土の上に、まざまざと猛獣の足跡が残っていた。
 神谷は全身脂汗に()れて、その恐ろしいものを見送ると、今さらむだとは知りながら、警察に電話をかけて、ともかくもこの事を訴えておいた。
 その夜は、まんじりともしないで、夜の明けるのを待って、彼は江川蘭子の自宅へ出かけていった。
 蘭子は無事であった。床についてはいたけれど、それはゆうべの激動に熱を出したまでのことであった。
 神谷はなにかと彼女を慰めながら、縁側の向こうの狭い庭を(なが)めていた。眺めているうちに、彼の眼が飛び出すばかり大きく大きく見ひらかれて行った。
 彼はそこにゾッとするようなものを見つけたのだ。庭の土の上に、彼の家の庭に残っていたのと寸分違わない、大きなけだものの足跡が、三か所ほど、ハッキリと印せられていたのであった。

 


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