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屋根裏の息遣い(1)_人豹(双语)_江户川乱步_日本名家名篇_日语阅读_日语学习网
日期:2024-10-24 10:29  点击:3337

屋根裏の息遣い


 中庭に面した六畳の座敷に、蘭子と、蘭子のお母さんと、神谷とが、怪しい足跡におびえて、顔を見合わせていた。
「神谷さん帰らないでね。あたしお母さんと二人きりじゃ、とても(こわ)くていられやしないから」
 ゆうべの激動のために、病人みたいに青ざめている蘭子が、(ねこ)魅入(みい)られた小鼠(こねずみ)かなんぞのように、縮みあがってしまって、キョロキョロと定まらぬ視線で、あたりを見まわしながら、歎願(たんがん)した。
「いいとも、僕は当分会社なんか休んで、君の護衛を勤めるよ。それはいいけれど、変だなあ。あいつは、わざわざここまできて、何もしないで帰ったのかしら。お母さん、ゆうべ何か変ったことでもありませんでしたか」
 神谷が尋ねると、蘭子の母は、オドオドしながら、まるで内しょ話みたいな低い声で答えるのだ。
「ちっとも気がつきませんでしたよ。でも、あれからずっと刑事さんが二人も、この部屋に詰めきっていらしったのですよ。そして、昼間は危ないこともあるまいとおっしゃって、つい今しがたお帰りなすったばかりなのです。いくらあいつでも、刑事さんがいるとわかっては、手出しができなかったのでございましょう」
「ああ、そうでしたか。それはいいぐあいでした。もし刑事がいなかろうもんなら、今度こそ取り返しのつかないことになっていたかもしれません。じゃあ、あいつ、雨戸のそとから立ち聞きしただけで、スゴスゴ引っ返したのですね」
 神谷は言いながら、じっと庭を(なが)めていたが、たちまち、何を発見したのか、ハッとしたように顔色を変えた。
「お母さん、ちょっと、あれをごらんなさい」
 彼はまるで、すぐ近くに人間(ひょう)が立ち聞きでもしているような、おびえたヒソヒソ声になって、
「あの足跡をよくごらんなさい。縫いぐるみのこしらえもんだけれど、足跡の前うしろはちゃんとわかるようにできています。あの足跡、みんなこちらを向いているじゃありませんか。向こうむきのは一つもないじゃありませんか」
「おや、そうですわね。どうしたんでしょうか」
 お母さんは、まだその恐ろしい意味に気がつかない。
「つまり、あいつは、(へい)を乗り越して、縁側のところへやってきたきり、引っ返していないのです。来た足跡だけで、帰った足跡がないのです」
「まあ!」
 蘭子とお母さんとは、ゾッとしたように顔を見合わせた。
「あたし(こわ)いわ。神谷さん早く警察へそういってくださらない。あいつは、きっと、このうちのどっかに隠れているんだわ」
(あわ)てることはないよ。いざといえば隣近所があるんだからね、たとえ、あいつがここに(ひそ)んでいるにしたところで、昼間ノコノコ出てくる気遣いはありゃしない」
 神谷は言いながら、縁側に出て、オズオズと縁の下を(のぞ)いてみた。覗いたかとおもうと、「アッ!」と低い叫び声を立てて、あとじさりをした。
「いるの? 縁の下に」
 蘭子たちはもう中腰になって、まっ青な顔で逃げ支度(じたく)をしていた。
 いたのだ。縁の下の奥の薄暗い地面に、一匹の猛虎(もうこ)が、グッタリと横たわっていたのだ。
 神谷は一瞬間ためらっていたが、勃然(ぼつぜん)()き上がる憎悪(ぞうお)にわれをわすれて、庭に飛びおりると、身構えをして、縁の下を覗き込みながら、どなりつけた。
「恩田、出てこい、卑怯(ひきょう)なまねをするな。さあ出てこい。きょうこそは逃がさないぞ」
 だが、神谷の意気込みにもかかわらず、(とら)は返事もしなければ、身動きもしなかった。
 眠っているのかしら、いや、そんなはずはない。変だぞ。ああ、そうだ、もしかしたら……
 神谷はそこに落ちていた棒切れを拾って、思いきって、縁の下の虎を突いてみた。動かない。妙にクナクナした手応(てごた)えだ。
「なあんだ。皮ばかりじゃないか。あいつ、こんなところへ虎の縫いぐるみを脱いで行ったんですよ。大丈夫、逃げなくっても大丈夫です」
 彼は座敷の二人を安心させておいて、その虎の皮を縁の下から引きずり出した。
「これですよ。ごらんなさい」
 (くび)のところを(つか)んでブラ下げると、それはちょうど大きな(とら)死骸(しがい)のように見えた。
「でも、神谷さん。あいつはそれを脱いでから、いったいどうしたんでしょう。やっぱり、どっかに隠れているんじゃない? そして、夜になるのを待っているんじゃない?」
 蘭子は居たたまれないように、ソワソワしていた。


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