虎男
「人間豹」だけでも充分な上に、今度は本物の猛獣までが野放しになっているとわかっては、浅草人種の恐慌は察するにあまりがあった。映画も、レビューも、飲食店も、露店業者も、ほとんど店を閉めんばかりの惨状を呈した。殊に夜などは、公園じゅうが広漠たる廃墟であった。
しかし、さすがは浅草公園の魅力である。昼間だけは人足が途絶えなかった。広い東京には、この噂をまったく知らないで、公園に足を向ける人々も少ない数ではなかったし、どこからともなく集まってくる、向こう見ずの野次馬連が、おびただしい群れをなして、公園全体にわたって一種異様な「陰気な雑沓」を呈していた。その群衆を縫うようにして、刺子姿の兄いたちや、団服に身をかためた青年団員たちが、右往左往しているのだ。
さて、あの深夜の怪異があった翌々日の午後のこと、そういう「陰気な雑沓」の公園の中を、明智小五郎とその新妻の文代さんとが肩を並べて歩いていた。むろん生地の顔をさらしてではない。「人間豹」の餌食と狙われている当の文代さんが、あいつの巣窟ともいうべき場所へ、素顔のままノコノコはいりこむなんて考えられないことだ。
野次馬にまじって当てもなくさまよい歩いているかと見える二人の男女、男は薄よごれた職工風の菜っぱ服に、器械油で黒く染まった鳥打帽子をまぶかにかぶり、板裏草履という扮装、大きなロイド目がねを掛けて、黒々として立派な口ひげをたくわえているのだが、その顔じゅうが器械油で手習い小僧みたいに汚れている。
女は髪を櫛巻きにして、洗いざらした手拭の頬被り、紺飛白の半纏のようなものを着て、白い湯文字がまる出しだ。しかも足には男みたいな長靴下にゴム底足袋という思い切ったいでたち、見たところ職工と「よいとまけ」の道連れ、といった感じである。
その薄ぎたない職工、実は名探偵明智小五郎、「よいとまけ」はすなわち文代さんであった。
文代さんを明智探偵事務所に置いては、いつ「人間豹」の襲撃を受けるかしれたものではない、どこか安全な場所へ避難させてはという意見が多かったけれど、あの魔物にかかっては、江川蘭子の場合でもわかる通り、避難が避難にならないのだ。それよりも、いっそ主人明智の行く所へついて歩いて、その保護を受けるのが何よりも安心だし、そうすれば探偵のお手伝いもできるのだからと、文代さんのけなげな思い立ちに、明智も賛成して、かくの次第となったわけである。
「吸血鬼」の物語を読まれた読者諸君はご存知であるが、文代さんは前身が女探偵、顔は美しく姿はやさしくとも、決して明智の足手まといとなるような弱い人ではなかった。むしろ名探偵にはなくて叶わぬ名助手であったかもしれないのだ。
この二人の変装者は、野次馬の流れにまじって歩いてはいたけれど、むろん野次馬ではない。殺人魔捜索の使命を帯びていたのだ。それに加うるに、かさなる個人的怨恨がある。明智としては、死力を尽しても魔人「人間豹」の行方を突きとめないではいられぬ立場であった。
ハンチングの下から、頬被りの下から、二人の眼は寸時も休まず働いていた。両側の家並は一軒一軒、道行く人々は一人余さず、するどい探偵的凝視を受けた。二人はジャングルの中に猛獣の匂いを追う精悍な猟犬であった。どんな些細な一物も彼らの眼をのがれることはできなかった。
六区の映画街の中ほどに、コンクリートの大映画館に挟まれた、谷底のように薄暗くて狭い抜け道がある。どんな雑沓の日でも、この陰気な抜け道を利用する者はごく稀であった。薄気味わるいほど静かな谷底だ。ただ、その中途に地底のカフェがあって、そこへの客が時たま通るのと、細道にあいている映画館の裏口から係員が出たりはいったりするほかは、ほとんど人通りがないといってもよいほどであった。
職工と「よいとまけ」の明智夫妻は、なにげなくその抜け道へはいって行った。別に意味があったわけではない。ただそこを通って裏通りへ近道をしようとしたのである。だが、一歩谷底へ踏み入ると、彼らはそこにハッとするようなものを発見した。
一匹の巨大な虎が、ノコノコと立って歩いていたではないか。
だが、そうそう本物の猛獣が現われてたまるものではない。それはむろん本物ではなかった。虎斑のシャツを着て、頭にはスッポリと、張りぼてのでっかい虎の首をかぶり、肩には赤地に白く染め抜いた広告旗、手には赤紙のビラの束、つまりそれは異様ないでたちをしたチンドン屋にすぎなかったのである。
旗の文字を読むと、「Z曲馬団」とある。どっかにサーカスがかかっていて、その広告ビラを撒いて歩くチンドン屋に違いない。それにしても、虎の扮装とは珍しい。多分はZ曲馬団に虎の見世物があって、それを呼び物としているのでもあろうか。
明智はそう考えて、一応は気を許したものの、しかし、なにかしら心の隅に、胸騒ぎのようなものをおぼえないではいられなかった。
虎男、こいつは謂わば虎男なんだ。それと「人間豹」と、偶然の類似とは言いながら、異様に意味ありげではないか。それに、あいつは、なぜあんな張りぼての虎の首なんかかぶっているのだ。眼の部分だけくり抜いてある様子だが、そのほかは顔全体がまったく隠れてしまっているではないか。まるで顔を見られまいための巧みな工夫みたいに邪推されるではないか。あのおどけた張りぼての中に隠れているものは、もしや、もしや、探しに探している「人間豹」の無気味な顔なのではあるまいか。
先方は抜け道の向こうの出口に近い場所を、ノロノロと歩いていたのだが、明智たちがこちらの角を曲がって、姿を見せたとき、そいつは振り返って、じっと彼らを見つめていたように感じられる。それからというもの、なぜか一そう歩度をゆるめながら、ほとんど一と足ごとに、さもうさんらしく、こちらを盗み見ている様子である。ただのチンドン屋が、職工と「よいとまけ」にこんなに関心を持つというのは変ではないか。あの魔物のことだ。先方ではとっくにこちらの素姓を見破って、張りぼての中で、燐光の眼を光らせて、せせら笑っているのではあるまいか。