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大空の爆笑(1)_人豹(双语)_江户川乱步_日本名家名篇_日语阅读_日语学习网
日期:2024-10-24 10:29  点击:3337

大空の爆笑


 見物たちはまだおしだまっていた。大テントの下はまるで墓場のように静まり返っていた。だが、その沈黙の中に、何かしらお化けみたいな(はげ)しい疑惑がただよいはじめているように見えた。
「これがお芝居なのかしら。お芝居にあれほど真に迫った恐怖の表情ができるものだろうか。第一いくら商売といっても、美しい肌に、あんなひどい傷をつけられて、平気でいるなんて、常識では考えられないことだ」
「ひょっとしたら、あの女は猛獣使いでもなんでもない、素人(しろうと)娘かもしれないぞ。すると、これはまあなんて恐ろしいことがはじまったものだろう。大群集の面前での人殺しじゃないか。しかも、猛獣の(きば)にかけて、一寸だめし五分だめしの、無残この上もない人殺しじゃないか」
 見物たちの頭の中に、そんな判断力が、ぼんやりとよみがえりかけていたとき、突如として、どこかしら高い所から、男の笑い声が降ってきた。カラカラという()からびたような、しかし、ひどく傍若無人な高笑いであった。
 千百の顔が、一斉(いっせい)に天井を見上げた。
 天井には、曇り日の空のような白っぽいテントがあった。テントのすぐ下には、荒縄(あらなわ)でくくった丸太棒(まるたんぼう)が縦横無尽に交錯(こうさく)していた。その丸太棒の一本に、ポッツリと(すずめ)のようにとまっている人の姿があった。そいつが、舞台の惨劇を見おろして、さもおかしくて(たま)らないというふうに、ゲラゲラと笑っているのだ。その男の顔立ちは、遠くてはっきりしなかったけれど、見物たちは、彼のつぶらな両眼がまるでけだもののように、青く燃え立っているのを見のがさなかった。(りん)のように光る眼だ。とうとう、あいつが姿を現わしたのだ。
 群集はそれを見ると、一そう気違いじみた昏迷(こんめい)におちいらないではいられなかった。気の弱い人々は、一目散にテントのそとへ逃げ出したい衝動を感じた。
 舞台の(おり)の中では、美しい半人半獣が、今は気力も尽きはてて、グッタリと倒れたまま動かなかった。気を失ったのであろう。虎の鼻面(はなづら)がすぐ眼の前に迫っても、声も立てなければ、身動きさえもしなかった。その白蝋(はくろう)のように美しい肌の上に、一条の血汐(ちしお)が、赤い(へび)となってからみついていた。
 檻の横手にたたずむ猛獣団長の顔はドス黒く昂奮(こうふん)して、その偉大なる将軍ひげは激情にうち(ふる)え、つぶらな両眼はまっかに充血していた。彼は手にする(むち)を、物狂わしく空中に振りつづけた。
 ヒューッ、ヒューッという(あらし)のような音響が、血に()えた虎を、いやが上にもいらだたせた。彼は見物席に向かって()と声高く咆哮(ほうこう)したかと思うと、いきなり二本の前脚を倒れている美女の胸にかけて、その喉笛(のどぶえ)に、今度こそは生きた人間の喉笛に、(きば)を突き立てようとした。
 ガブリ、ただ(くび)(あご)の筋肉が一と縮みすれば事は終るのだ。一個の人命が断たれるのだ。
 見物たちのうちに、これをしもお芝居と考えるものは、一人もいなかった。千百の顔が、一刹那(いっせつな)ハッと色を失って思わず舞台の上から眼をそらした。次に起こるべきあまりにもむごたらしい光景を、正視するに忍びなかったのだ。婦人客は両手で眼を(おお)った。
 読者諸君、われらのヒロイン明智文代さんの一命は、かくして猛虎(もうこ)の筋肉の一と縮みにかかっているのだ。諸君もすでに推察されたように、人間(ひょう)親子は、美しい明智夫人を誘拐(ゆうかい)して、熊の毛皮をかぶせ、大胆不敵にも、公衆の面前で、見るもむごたらしい悪魔のリンチを行なおうとしているのだ。
 天井の丸太棒につかまった「人間豹」恩田と、猛獣使い大山ヘンリーになりすまして、鞭をうち振るその父親とは、数丈の上と下とで、ひそかに顔を見合わせて、わが事成れりと(うなず)き合った。そして、父親の鞭は、いよいよその音を高め、「人間豹」の笑い声はますます傍若無人になりまさるのであった。
 その時である。
 観客たちは、何かしら頭の(しん)を貫くような、一瞬の衝動を感じた。おやっ、どうしたんだ。ああ多分やられたのに違いない。彼らは、鮮血にまみれた(とら)の顎を想像しながら、でも(こわ)いもの見たさに、そらしていた眼を、一斉(いっせい)に舞台に向けた。
 すると、これは一体何事が起こったのだ。殺されていたのは、人間ではなくて虎の方であった。彼は脳天から一と筋の血を(したた)らして、グッタリと横たわっていた。もう身をもがく力もない。おそらく一瞬にして息絶えたものであろう。


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