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第6章 グレグスン警部の活躍(1)
日期:2023-10-30 15:45  点击:283

第6章 グレグスン警部の活躍

 翌朝の新聞は、この事件を〈ブリクストンの怪事件〉と呼んで大々的に報じた。紙面をたっぷり割いて詳細な記事を載せ、新聞によっては社説でも取りあげていた。そこには私の知らない事実もいくつか含まれていた。当時の記事の切り抜きや抜粋をスクラップ帳に大量に保存してあるので、その一部を要約してお目にかけよう。

《デイリー・テレグラフ》紙は、犯罪史上ほかに類を見ない不可解きわまる悲劇、と表現したうえで、事件についてこのように述べている。被害者の姓はドイツ系で、殺意以外の動機はいっさい見あたらず、壁にはまがまがしい文字が残されていた。以上の点から考えうるのは、政治的亡命者か革命家による犯行である。もとより、アメリカには社会主義者の下部組織が無数に存在する。被害者はおそらく組織の不文律を破ったため、お尋ね者となり、この国まで追われてきたのであろう、と。記事はさらに調子づいて、フェーメ裁判所(訳注:中世ドイツの秘密刑事法廷)、トファナ水(訳注:十七世紀にシチリアのトファーニアという老女が作った毒薬)、カルボナリ党(訳注:十九世紀初めにナポリで結成された秘密結社)、ブランヴィリエ侯爵夫人(訳注:遺産目当ての毒殺を繰り返した十七世紀のフランス人)、ダーウィンの進化論、マルサスの人口論、〈ラトクリフ街道殺人事件〉(訳注:十九世紀にロンドンのイースト・エンドで服地商を営むマー一家が惨殺された事件)等々の事例をさりげなく列挙し、文の最後でイギリス国内の外国人に対する監視体制を強化するよう政府に警戒を促している。

《スタンダード》紙は、このような法律を踏みにじった蛮行はつねに自由党政権下で起きている、と指摘した。その原因として、世に蔓延する不安や、あらゆる権威の弱体化を挙げ、事件のあらましを次のように伝えている。被害者のアメリカ人紳士は数週間前にロンドンへやって来た旅行者で、カンバーウェルのトーキー・テラスにあるシャルパンティエ夫人の下宿に滞在していた。ジョゼフ・スタンガスンなる個人秘書を同行させての旅だった。今月三日の火曜日、両氏はシャルパンティエ夫人にいとまを告げ、リヴァプール行きの急行列車に乗る予定でユーストン駅へ向かった。のちに同駅のプラットホームで二人の姿が目撃されている。しかし、その後の足取りは不明で、すでに報じられたとおり、ドレッバー氏の遺体がユーストン駅から遠く離れたブリクストン通りの空き家で発見されたことを除き、すべてが闇のなかである。ドレッバー氏はなぜそこへ行ったのか、なぜそのような最期を遂げたのか、依然として謎に包まれている。スタンガスン氏の行方もわかっていない。幸いなことに、スコットランド・ヤードのレストレイド警部とグレグスン警部が事件を担当しており、辣らつ腕わんを誇る両名の活躍によって事件が速やかに解決されるものと信じている。

《デイリー・ニュース》紙は、この事件が政治がらみの犯罪であることはまずまちがいない、と主張した。大陸諸国では専制主義が幅を利かせ、自由主義への敵意が強まっているため、過去に迫害の憂き目をみた経験さえなければ母国で立派な市民となったはずの人々が、追われるようにしてわが国へ押し寄せている。そうした人々は厳格な掟おきてを重んじており、それを破った者はただちに死をもって償わされるという。よって、まずは秘書のスタンガスン氏の捜索に全力を挙げ、それと並行して被害者の身辺を徹底的に洗うべきであろう。被害者のロンドンでの逗とう留りゆう先が判明したことで捜査は大きく前進したが、これはひとえにグレグスン警部の獅し子し奮ふん迅じんの働きによるものである。

 これらの記事を、シャーロック・ホームズと私は朝食の席で一緒に読んだ。どれもこれもホームズにとってはお笑いぐさでしかなかったようだ。


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