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第Ⅱ部 聖徒たちの国
日期:2023-10-31 15:29  点击:294

第Ⅱ部 聖徒たちの国 

第1章 アルカリ土壌の大平原

 広大な北アメリカ大陸の中央部には、人を寄せつけない殺伐とした砂漠地帯が居すわっており、そこを横断しようとする文明の進路を長年にわたり妨げてきた。東西はネブラスカからシエラネヴァダ山脈まで、南北はコロラド川からイエローストーン川まで、寂せき寥りようとした大地が長々と横たわっているのだ。むろん、こうした厳しい自然環境の土地であっても、生みだされる風景はひとつきりではない。雪を頂いた泰然とそびえる山々もあれば、影をまとった陰気な谷間や、切り立った深い峡谷を駆け抜ける渓流もある。そして広漠とした大平原は、冬になれば見渡すかぎり純白の雪に包まれ、夏には塩分を含んだアルカリ質の砂地をさらけだす。しかし外観はさまざまでも、互いに共通の宿命を背負い、荒野の孤独と憂ゆう鬱うつを抱えているのであった。

 この絶望に沈んだ土地に住む者は誰一人としていない。ときどきポーニー族やブラックフット族の集団が別の猟場へ移動する際に通りかかるが、どんなに屈強な勇者も、この不気味な平原が後ろに遠ざかり、前方に再び豊かな草原が見えてくると、胸に安あん堵どの思いが広がった。灌かん木ぼくの茂みに潜むコヨーテ、物憂げに空を舞うコンドル、暗い山峡を大儀そうにうろついて岩陰に餌を探す不ぶ恰かつ好こうな灰色熊。このわびしい荒野に棲すみついているのは、そうした野生動物だけなのである。

 世界中のどこを探しても、シエラブランカ山の北斜面からの眺めほど殺風景なものはないだろう。アルカリ質の砂に覆われた大平原が果てしなく広がって、地表から顔をのぞかせているのはところどころに生えた貧弱な低木のやぶだけ。地平線のはるか向こうにようやく、雪でまだらになった峻しゆん険けんな峰の連なりを望むことができる。荒涼とした平野には、生命はおろか、生命の痕こん跡せきすら存在しない。鋼色の空に鳥の姿はなく、鈍にび色の地面にも動くものはまったく見あたらない。そう、あるのは絶対の沈黙のみだ。どんなに耳を澄ましても、広大無辺の荒野にはかすかな音さえ聞こえず、胸に押し迫る重苦しい静寂に完全に支配されている。

 生命の痕跡すら存在しない、と書いたが、この表現は厳密には正しくない。シエラブランカ山から見下ろすと、砂漠の上に曲がりくねった一本の筋が刻まれ、遠くまで延々と続いている。過去に多くの冒険者たちが残していった足跡と馬車の轍わだちだ。その道に沿って、なにやら白いものが点々と散らばり、アルカリ質の黒っぽい砂を背景に陽光を浴びてぎらぎらと輝いている。さあ、近寄って、とくと眺めるがいい! あれはすべて骨なのだ。大きくて太いものもあれば、小さくて細いものもある。大きいほうは牛の骨、小さいほうは人骨だ。これら途中で力尽きた生命の遺い骸がいをたどっていけば、亡霊のごとき隊商はなんと全長千五百マイルにも及ぶ。

 一八四七年の五月四日、まさにその光景を見下ろしている一人の旅人がいた。この土地の守り神か、あるいは悪霊かと思うような風ふう貌ぼうで、年の頃は四十近くにも見えるし、六十近くにも見える。顔はやつれ果てて肉が削そげ落ち、茶褐色の皮膚は突きでた骨にぴったりと張りついた羊皮紙のようだ。茶色い髪と顎あご鬚ひげはぼうぼうに伸びて白髪まじり、目はすっかり落ちくぼんで異様な光をらんらんと放っている。骸がい骨こつさながらの瘦やせ細った手でライフル銃を握りしめ、それにすがってかろうじて立っているという状態だ。背が高く、骨格もいかついので、もとは精力みなぎる強健な肉体の持ち主だったのだろう。いまは老いさらばえたような姿だが、なぜそうなったのかは、げっそりと憔しよう悴すいした顔や、だぶだぶの服からのぞくしなびた手足で一いち目もく瞭りよう然ぜんである。男は死の淵ふちにいるのだ──飢えと渇きで死にかけているのだ。


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