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第2章 ユタの花(1)
日期:2023-10-31 15:36  点击:293

第2章 ユタの花

 モルモン教徒の大集団が安住の地を手に入れるまでの道のりは、まさしく試練と苦難の連続だったのだが、それについて細かく記すには及ばないだろう。ミシシッピ川のほとりを発たってロッキー山脈を越え、その西斜面に到達するまで、彼らは人類史上まれに見る不ふ撓とう不ふ屈くつの精神で道を切り開いていった。先住民による襲撃、獰どう猛もうな野獣、飢えと渇き、さらには疲労、病気など、この世の摂理がつくりだしうるありとあらゆる障害が立ちふさがったが、アングロサクソンの名に恥じぬ粘り強さでもってみごと克服した。しかし長い旅のあいだには、たび重なる恐怖によってどんなに勇猛な者でも不安にさいなまれ、くじけそうになったことだろう。それだけに、陽光がさんさんと降り注ぐ広大なユタの渓谷が眼下に開け、指導者の口から、これぞ探し求めていた約束の地、この処女地は永遠にわれらのものなり、という御託宣がついに下ったときは、一行の誰もがその場にひざまずいて心から感謝の祈りを捧ささげたのだった。

 ブリガム・ヤングは指導者として優れているだけでなく、行政官としても大いに腕をふるい、ぬきんでた才覚を発揮した。地図が作製され、図面が引かれ、将来築かれる都市の構想が次々と打ちだされていった。周辺の農地は各人の地位に応じて配分された。商人にはそれぞれの商売が、職人にはそれぞれの職があてがわれた。町は道路や広場ができて魔法のごとく着々と整備が進み、村では灌漑施設や生け垣が設けられ、開墾と作付けが始まり、翌年の夏には見渡すかぎり金色の麦畑が広がった。この開拓地はなにからなにまで風変わりだったが、繁栄に続く道筋をたゆまず前進していった。なかでも特筆すべきは、町の中央に建設中の大寺院が日増しに高く、立派になっていくさまだった。幾多の困難をかいくぐって、無事にこの地まで導いてくれた神をあがめるため、寺院の完成に向けて皆そろって精を出した。朝は日が昇る前から、夕は日がとっぷりと暮れるまで、槌つちと鋸のこぎりの音が絶えることは片時もなかった。

 一度は野たれ死にしかけた二人の放浪者、ジョン・フェリアと少女ルーシーも、モルモン教徒たちの大移動に最後まで同行した。フェリアと苦楽をともにしてきて、彼の養女となったルーシー・フェリアは、旅のあいだ長老スタンガスンの幌ほろ馬ば車しやに預けられ、彼の三人の妻と十二歳になる生意気盛りのわがままな息子に囲まれて不自由のない暮らしを送った。子供ならではの順応性で、母親を失った悲しみからじきに立ち直り、まわりの女たちにかわいがられながら、幌屋根がついた動く家での生活になじんでいった。ジョン・フェリアのほうは、弱っていた体力がもとどおり回復すると、有能な道案内役として、さらには根気強い猟師としても圧倒的な存在感を放ち、ほどなく新しい仲間たちから一目置かれるようになった。よって流浪の旅が終着点に達したとき、指導者ヤングと四大長老であるスタンガスン、ケンボール、ジョンストン、ドレッバーに次ぐ広い肥ひ沃よくな土地を分け与えられたが、それに異を唱える者は一人もいなかった。

 そうしてあてがわれた農場に、フェリアは自らの手で堅けん牢ろうな丸太小屋を建てた。小屋は毎年増築が重ねられ、立派な別荘風の家に姿を変えた。生まれつき行動力に富み、商才に恵まれ、手先の器用な男だったが、身体も頑丈にできていたので、朝から晩までせっせと土地を耕した。そのかいあって、農場をはじめ彼が所有するものは群を抜いて大きな成果を生みだした。三年が過ぎる頃には近所の誰よりも豊かな暮らしを手に入れ、六年後には裕福になり、九年後には金持ちと呼ばれていた。さらに十二年が経ったときには、ソルトレイク・シティ全体で五指に入るまでの資産家になっていた。ユタ州北部のグレイトソルト湖から遠くワサッチ山脈にかけての地域で、フェリアはほかの誰よりもその名を知られていた。


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