「ごもっとも、ごもっとも!」と、彼はいった。「キアンティでも一杯いかがですが、モースタンさん。それともトーケイ酒になさいますか? ぶどう酒はそれしがありませんので。ひとつ封を切りましょうか。よろしいんですって? では、失礼してこちらはたばこ……香りのよい東洋たばこを一服といきましょう。ちょっと気が立っておりますが、心を鎮めるには水ぎせるが一番でしてね」 彼が大きな火皿にローソクを持っていくと、薔薇香の水の中から、泡と共に勢いよく煙が立ちのぼった。私たち三人は顔をつき出し、顎あごを手で支えながら、半円形になるように坐った。一方、顔を引きつらせた奇怪な小男は、長い頭を光らせながら中央に位置して、落着かない様子できせるをふかした。
「最初、お手紙を差し上げようとした時に」と、彼はいった。「こちらの住所をお教えしてもよかったのですが、心配だったのですね。こちらの意向が無視されて、好ましくない人達をお連れになるのではないかと。そんなわけで、勝手ながら、まず手下のウィリアムズにあなた方を確かめさせようと、場所を指定させていただいたわけです。あの男には全幅の信頼を置いていますので、彼が見てだめだと思うなら、この件はそれで切り上げるよういっておきました。こうした用心深いやり方をしたことについては、お詫わびいたしますが、わたしはどちらかといえば交際ぎらいですし、まあ、あえていわせてもらえば洗練された趣味人ですから、わたしにとって警官ほど野暮なものはないわけです。わたしは粗野な物質主義の匂いのするものには、本能的にすくんでしまうのです。がさつな大衆に接触することはめったにありません。こんな風にして、多少優美な雰囲気に包まれて生活しているのです。わたしは自ら美術の保護者と呼びたいくらいですよ。あのコローの風景画は本物ですし、あのサルヴァトール?ローザは専門家は何というか知りませんが、あのブグローは本物間違いなしです。近代フランス派に目がないものでして」「ショルトさん、失礼ですが」と、モースタン嬢がいった。「何かおっしゃりたいことがあるというので、それを伺うためにこちらへうかがったのです。夜も更けてきましたから、お話はできるだけ手短かにお願いします」「いくら急いでも、多少の時間はかかります」と、彼は答えた。「と申すのは、実は、バーソロミュー兄に会いにノーウッドヘ出かけなけれはならないからです。みんなで行ってバーソロミュー兄をへこますことができるかどうかをたしかめにいくわけです。彼はわたしが正しいと思ったことを実行に移したので、ひどく腹を立てているのです。ゆうべは大喧嘩をしました。怒り出すとどんなひどい人間になるか、想像もつかないほどです」「ノーウッドヘ行くのなら、今すぐ出かけたらいい」と、私はあえて口をはさんだ。
彼は耳先が赤くなるまで笑った。
「それはいけません」と、彼は大声でいった。「突然あなた方をお連れしたら、あの人は何というか分かりませんよ。行く前にまず、私たちがそれぞれどんな立場にあるのかをお話ししておかねばなりません。まず第一に申しあげたいことは、この事件で、わたし自身、知らないことが幾つがあるということです。わたしの知るかぎりの事実を、卒直にお話しするしかありません。
すでにお察しかも知れませんが、わたしの父はかつてインド軍におりましたジョン?ショルト大佐です。十一年ほど前に退役し、アパー?ノーウッドのポンディシェリー荘に住みつきました。父はインドで成功し、かなりの額の金と、たくさんの高価で珍奇な品々、それに現地の召使い達を引き連れて帰国しました。おかげで家を買ってからは、たいへん贅沢ぜいたくな生活でした。子供は双児ふたごの兄のバーソロミューとわたしだけでした。
モースタン大尉が失踪された時の騒ぎは、今でもよく憶えています。私たちは新聞で委細を知り、大尉が父の友人だったことは聞いておりましたので、私たちは父のいる所でこの問題をざっくばらんに論じ合いました。父は、大尉の失踪について私たちと一緒になって推理することがありました。父がすべての秘密を胸に秘めていようとは、よりによって父だけがアーサー?モースタンの運命を知っていようとは、私たちは一瞬たりとも疑ったことがありませんでした。
しかし、ある秘密が、ある抜きさしならない危機が、父の上に迫っていることは、私たちにもわかりました。父は一人で外出することを非常に恐こわがり、いつもポンディシェリー荘の門番に、ボクサーを二人雇っていました。今晩、皆さんをご案内したウィリアムズは、その一人です。この男はかつての全英ライト級のチャンピァ◇です。父は何が恐いのか、決して言おうとしませんでしたが、義足の人を特に毛嫌いしていました。実際、ある時などは、義足をつけた人に発砲したりしました、注文取りにきた何の罪もない商人だったのですが。事件をもみ消すために、私たちは多額の金を使いました。兄とわたしは、これは単なる父の気まぐれだろうと考えたものでしたが、それ以来、私たちが考えを変えざるを得ないような出来事が起こったのです。