「船が沈んでさえいなければ、きっと探し出してくれるさ」ホームズはテーブルから立ちあがると、パイプに火をつけながらいった。「あの連中ならどこへでも行けるし、何でも見られるし、誰の話でも立ち聞きできる。夕方までには発見の知らせを持ってくるよ。その間、ぼくたちはただ待つだけさ。オーロラ号かモーディケアイ・スミスかどちらかを発見しないかぎり、再び追跡を開始するのは困難だ」
「トービーにはこの残飯をやればいいかな。ホームズ、寝るのかい?」
「いや、ぼくは疲れてなんかいない。不思議な体質でね。何もしないでいるとくたびれてぐったりしてしまうけれど、仕事で疲れたことなど、これまで記憶にないね。これからたばこをふかしながら、あの美人の依頼人が持ちこんできたこの奇妙な事件のことを考えてみたい。世の中に簡単な仕事などというものがあるとしたら、これこそその見本だよ。義足の男もそうざらにはいないけれど、あのもう一人のほうは実に珍無類だと思うよ」
「また相棒の話か!」
「いずれにしろ、この男を神秘めいた人物に仕立てるつもりはない。しかし、きみだって、もう自分の考えを持っているんじゃないかな。さあ、データを見てみよう。小さな足跡、靴をはいたことのない足、裸足、先端に石のついた木の 鎚つち、敏捷な動作、小さな毒矢。こうしたものから何を思い浮かべるかね?」
「野蛮人だ」と私は大声でいった。「きっとジョナサン・スモールの仲間のインド人の誰かだ」
「いや、ちがう」と彼はいった。「最初、奇妙な武器のようなものを見た時、ぼくもそう考えかけたが、あの特徴のある足跡を見て、考えなおしたんだ。インド半島の土民の中には、小柄な種族もいるけれど、あんな足跡はしてないよ。本来のインド人は足型が長くて狭い。サンダルばきの回教徒は親指が大きくて、他の指からはっきり離れているんだ。革ひもが指の股またのあいだにはさまっているからね。それから、小さな矢にしても、飛ばし方はただ一つだ。吹き矢筒で射たんだよ。だとすると、その野蛮人はどこにいるかだ?」
「南米だろ」と私は当てずっぽうにいってみた。
彼は手を伸ばして、棚から分厚い本をとり出した。
「これは、目下刊行中の地名辞典の第一巻だよ。最新の情報として頼りになるだろう。何と書いてあるかな?
『アンダマン諸島。スマトラの北方三四〇マイル、ベンガル湾内にあり』
ふんふん。何だって? 多湿の気候、珊瑚礁さんごしょう、 鮫さめ、ブレア港、囚人収容所、ラトランド島、はこやなぎ……あっ、あったぞ!
『アンダマン諸島の土人は、おそらく地上で最も背の低い人種である。ただし一部の人類学者はアフリカのブッシュマン、米国のディッガー・インディアン及びフェゴ島人をあげている。身長は平均、四フィート未満であり、成人でもそれ以下のものも見受けられる。狂暴で、気むずかしく、御ぎょし難い種族であるが、一度信頼を得ると献身的な友情を結ぶこともできる』
いまのところを注意してくれよ、ワトスン。それからこうだ。
『彼らは性来醜怪な種族で、頭は大きく不格好、目は小さくどう猛、そして顔は歪んでいる。しかし、手足は驚くほど小さい。はなはだしく狂暴で御し難いために、彼らを支配しようとする英国政府の試みは、これまで徒労に終わっている。彼らは難破船の乗組員にとって常に恐怖の的であった。先端に石のついたこん棒で生存者の脳天を叩き割ったり、毒矢で射殺したりするのである。虐殺のしめくくりには、いつも人喰いの響宴が行なわれる』
愛すべき立派な人たちだよ、ワトスン。かりにこの男が、自分の裁量に任されていたら、事件はずっと兇悪なものになったろう。実のところ、ジョナサン・スモールだって、この男をもてあましているのじゃないかな」
「それにしてもどうやってこんな物騒な相棒を手に入れたのかね?」
「ああ、そいつはぼくにも分からない。しかし、スモールがアンダマン諸島からきたことはすでに明らかなのだから、この土人が一緒だとしても不思議じゃないよ。やがてすべてか分かるさ。ねえ、ワトスン、きみはすっかり疲れきった顔をしているね。そこのソファに横になってごらんよ。眠らせてやろう」
彼は部屋の隅からヴァイオリンをとりあげ、私が横になると、低い、夢のような美しい旋律を奏かなで始めた……彼は即興に並々ならぬ才能を持っていたから、これは間違いなく彼の自作であった。彼のほっそりした手、真面目くさった顔つき、上下する弓など、私は今でもおぼろげに記憶している。それから、私は静かな音の海の上を、安らかに漂って行くように思われたが、やがて気がつくと、私は美しいメアリー・モースタンのまなざしをあびながら、夢の国をさ迷っていたのだった。