「僕がそこにいさえしたらなあ! しかしこれは特別に興味ある事件ですよ。いや、腕き
きの玄人 くろうと には、またとない腕の見せどころです。僕だったら、雨にうたれたり、物好き
な百姓たちの木靴で踏みにじられたりする前に、その地面に記された謎 なぞ を読みとってる
んですがねえ。ねえ、モーティマーさん、モーティマーさん、どうして僕を呼んではくれ
なかったんです。あなたも大いに責任をとらねばなりませんぞ!」
「ホームズさん、実はお呼びできなかったんです。そんなことをすると、ことが公 おおや けに
なってしまいますし、私とても先ほど申し上げたとおりそうしたくなかったんです。しか
も、それに……」
「どうして先をおっしゃらないんです」
「俊敏きわまりない老練無比の探偵も及ばない領域があります」
「というのは、何か妖怪じみたことでも?」
「そうと断言もできかねますが……」
「でもあなたは、はっきりそうと思ってらっしゃる」
「あの怪事件があってからというものは、自然の定則と相容 あいい れないようなことを二、三
聞いてるんです」
「たとえば?」
「あの怖ろしい事件のおこる前、バスカーヴィル家の悪霊とも思われる怪獣を沼地で見た
というものが二、三あったということです。もちろん動物学で知られているようなもので
はありません。彼らの一致した話によると、何でも非常に大きくて、ぼうっと妖怪みたい
に光ったそうです。その連中、ひとりは律儀 りちぎ な田舎者で、ひとりは獣医、もひとりは沼
地の百姓です。私はいちいち反証をあげて聞いてみたんですが、みな恐ろしい妖怪だった
と同じことをいうんです。それがこの伝説にあるバスカーヴィル家の地獄犬にぴったり一
致するじゃありませんか。それゆえ、あの一帯は恐怖に見舞われてしまい、よほど勇気の
ある男でないと、夜には沼地を通れない始末です」
「しかも十分科学に親しんでるあなたまでが、それを妖怪だと信じてらっしゃる」
「何を信じていいかわからないんです」
ホームズは肩をすくめた。「私はこれまで自分の研究を、現実の問題にのみ限定してき
ました。私は謙虚 けんきょ に世の悪と闘ってきましたが、悪の親玉に直接闘いを挑 いど むというの
は、いささか野心が大きすきる仕事でしょう。しかし、足跡が現実にあったことは、あな
た自身認めておられることだし」
「もともと物語の犬も人間の喉笛 のどぶえ を食いちぎったというから相当に実際的なものです
し、しかも同時に魔性を十分あらわしています」
「まったく怪奇趣味に宗旨 しゅうし 変えのようですね。しかしねえモーティマーさん、いいです
か、そういうお考えなら、どうして私のところへなぞいらしたんです? サー・チャール
ズの死は調査不可能といっておきながら、もう私にそれを調べろとおっしゃるんですか」
「調べてほしいとは申しておりません」