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六 バスカーヴィル邸(3)
日期:2023-11-13 13:28  点击:263

 そこは平和で素朴な村だった。駅から出ようとすると、黒い制服に身をかためた兵士ら

しい男がふたり、小銃にもたれかかるようにして立ち、出てくるわれわれをじろりと鋭く

にらみつけたのには驚いた。馭者というのは、人相のよくない節くれだった小男で、

サー・ヘンリー・バスカーヴィルに挨拶したかと思うと、次の瞬間、われわれは飛ぶよう

に白く乾いた広い路を走っていた。われわれの両側には、海にも似た緑の牧場がもり上

がって来る。深い緑の木の間から切妻のある古い家々が見えた。だが、この太陽のふりそ

そぐ平和な村のかなたには、ぎざぎざの不吉な丘にさえぎられて、沼地の陰鬱な起伏が夕

空を背景に暗く拡がっているのである。

 馬車 ワゴネット はわき路にまがり、何世紀もの間わだちで傷んだ小路を登っていった。両がわ

の高い土手にはじめじめした苔 こけ や、見るも鮮やかなコタニワタリ(シダの類)が生え茂

り、青銅色のワラビや斑 まだら のあるイバラが、沈んでゆく夕陽の光りで仄 ほの かに輝いてい

た。なおも坂道はつづき、馬車は狭い花崗岩 みかげいし の橋を渡ると、今度は灰色の丸石の間を

ごうごうと白い泡をたてて流れる急流に沿って登っていった。路と急流とは、背の低い樫 か

し と樅 もみ の密生した谷あいを縫うように走っていた。路を曲がるたびごとに、サー・ヘン

リーは喜びのあまり喊声 かんせい をあげ、あたりをきょろきょろと熱心に見まわし、うるさいほ

ど、いろいろ訊くのだった。彼の目には、すべてのものが美しいようだった。しかし私

は、この一年もまた残りすくなくなったという晩秋の色合いを深めた山村に、一抹 いちまつ の物

さびしさを感じた。枯葉は路に散り敷き、通りすぎるわれわれの上に舞い下りた。路をお

おう朽葉 くちは に、車のひびきも消え去る……おお、帰り来るバスカーヴィル家の後継ぎの車

前に、自然は何と物さびしい贈り物を吹き散らすことか。

「おや!」突然モーティマー医師が叫んだ。「何です、あれは?」

 われわれの前には、沼地のはずれに突き出ているヒースにおおわれた険しい丘が立ちは

だかっていたが、その頂上に、くっきりと騎兵の銅像のように、馬乗りの兵隊がひとり、

黒く厳然と小銃を前にかまえて立っていた。われわれがいま進んでいる山路を警戒してい

るのだ。

「何かあったんかね。パーキンズ」モーティマー医師が尋ねた。

 馭者は身体をねじむけた。

「プリンスタウンの監獄から囚人がひとり逃げたんです。もう三日になりますんで、追手

は路という路、駅という駅、みんな監視してるんですが、その姿さえ見えねえてんで、こ

この百姓どもも弱ってますんで、へえ、本当のこってす」

「ああそうか。それで何か知らせると、五ポンドもらえることになってたね」

「へえ、そうなんで。……だけんど、たかが五ポンドぐれえで、喉をぐっさりやられた日

にゃ、たまったもんじゃねえですよ。旦那がた、ずらかったのはただの奴じゃねえんで、

何をやり出すかわからねえ野郎なんで、へえ」

「誰だね、その男は」

「ほら、ノッティング・ヒルで人を殺したセルデンでがす」

 その事件なら、私はよく憶えていた。そのやり口が、殺人とはいうものの、あまりに残

忍で、したい放題の狂暴性をもったものであっただけに、ホームズも興味をもっていたも

のだった。その手口があまりにも残虐をきわめていたので、はたして彼の精神状態が、正

常であったかどうかに疑問がもたれ、死刑から終身刑へ減刑されたという顛末 てんまつ なのであ

る。


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