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七 メリピット荘のステイプルトン兄妹(5)
日期:2023-11-13 13:48  点击:313

 ステイプルトンは笑い出した。「あれがいわゆるグリムペンの底なしの大沼というやつ

ですよ」彼は言った。「人間だろうと動物だろうと、まちがって一歩でも踏みこんだら、

一巻の終りです。きのうもこの辺の野生の小馬が一頭ぶらりと迷いこむのを見かけました

がね。もちろん戻っちゃ来ません。底なしの沼から首だけ突き出して、かなり長いことも

がいていましたが、ついに吸い込まれてしまいましたよ。乾燥してる季節でもここをよぎ

るのは危険なのに、この頃のように秋の長雨の後じゃ、まったく恐ろしい場所ですよ。し

かし私はあのど真ん中まで行きつくことができますし、死なずに帰ってもこられます。

やっ、こいつぁどうだ。可哀そうに、また小馬が一頭やられてるじゃありませんか」

 何か褐色のものが、緑の《すげ》の草むらにころがってのたうちまわっていた。やがて

苦しみもだえる長い首が突っ立ったかと思うと、恐ろしいいななきがあたりにこだまし

た。私は怖ろしさに身の内がぞっと冷たくなってしまったが、ステイプルトンは私よりも

強い神経の持ち主であるらしかった。

「やられましたね」彼は言った。「底なし沼の勝ちです。二日で二頭、いや、もっとかも

しれません。この辺の小馬は、乾季に行きつけているから、何も知らずに迷いこんで底な

し沼の手中に入ってしまうんですよ。ひどいところです。グリムペンの底なし沼というや

つはね」

「それをあなたは渡ることができるとおっしゃるんですね」

「そうです。ひとつふたつ、非常に敏捷 びんしょう な人間なら通れるような道があるんです。私

はそれを見つけ出しました」

「どうしてまた、わざわざあんな恐ろしいところに行こうとなさるんです」

「ええ、あっちに丘陵が見えるでしょう。あれは八方を底なし沼にふさがれて、どこから

も行けなくなってるんです。長年の間にとりまかれてしまったんですね。ところがあすこ

に珍しい植物や蝶類が棲息 せいそく しているんです。もっともあすこまで辿 たど りつくだけの才覚

さいかく があればの話ですがね」

「いつか私も運試 うんだめ しをやってみたいものですよ」

 すると彼はびっくりしたような顔つきで私を見つめた。「後生だからそんな考えは止し

にして下さい。もしものことでもあったら、私の責任ですからね。とても生きてお帰りに

なれる見こみなんか無いんですから。私にそれができるのは、あるややっこしい目じるし

を知っているからこそなんですよ」

「おや!」思わず私は大きな声を出した。「何です、あれは」

 たとえようもなく悲しげな、長く低いうめき声が沼地の上にひびきわたった。いんいん

とあたりをはらったその声は、しかも、どこから聞こえてくるのか見当もつかなかった。

野太いうなり声にふくれ上がったかと思うと、またもとのものうげな、震えうめく声に沈

み込むのだった。ステイプルトンは奇妙な表情を顔にうかべながら私を見た。

「妙なところですよ。この沼地ってえのはね」

「何ですか、いったい」

「土地の人は、バスカーヴィル家の妖犬が《いけにえ》を呼び求める声だとかいっていま

す。一、二度聞いたことがあるんですが、あんなに大きな声じゃありませんでした」

 身の毛もよだつのを覚えながら、私はあちこちに青い藺草 いぐさ の群生した、うねうねと波

うつ平原を見わたした。その広大な野原は静まりかえって、ただ背後の岩山で、二、三羽

のカラスが声高く鳴きかわすばかりだった。


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