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七 メリピット荘のステイプルトン兄妹(9)
日期:2023-11-13 13:49  点击:240

「ワトスン先生、途中でおひき止めしようと思って、わたしずっと駈けて来ましたの。帽

子をかぶるひまもなかったんです。居なくなったのが兄に感づかれますから、こうして長

くはいられません。わたくし、先ほどは先生をサー・ヘンリーだとばっかり思い込んで、

うっかりあんな間違いをしたそのお託びを申し上げたかったんです。どうぞ、あのとき申

し上げたことはお忘れになって。先生には何のかかわり合いもないことなんですの」

「しかし忘れろとおっしゃっても、ベリルさん、私はサー・ヘンリーの友人なんです。彼

の身の上は私にとっても重大問題ですよ。わけを教えて下さい。あのときは、サー・ヘン

リーがぜひともロンドンに帰るべきだといって、あんなに熱心に話をなさったじゃありま

せんか」

「女の気まぐれです。だんだんおわかりいただけると思うんですけれど、わたくしときど

き自分でも説明のつかないことを言ったり、したりいたしますの」

「いやいや、あなたは声がふるえていましたよ。ただならぬ目つきでしたよ。ベリルさ

ん、お願いだから打ち明けて下さい。ここへやって来たときから、ずっと私のまわりに影

がつきまとっているような気がするんです。まるでグリムペンの底なし沼を歩くようで

す。いたるところに緑色の斑 しま があって、いつそこに吸い込まれるかわからないのに誰も

道案内をしてくれない。さあ、お願いです。あれはどういうおつもりだったんですか。

きっとサー・ヘンリーに伝えますから」

 一瞬、彼女の顔にためらいの色が浮かんだが、ふたたびこわばった表情にかえった。

「思いすごしていらっしゃるんですわ。サー・チャールズがお亡くなりになったとき、兄

もあたくしもひどいショックをうけたんですの。あの方は沼地をこえて私どもの家までい

つも散歩にいらっしゃいましたから、よく存じ上げておりました。お家に代々かけられた

呪いをずいぶん深刻にお考えになっていらっしゃいました。それで事件が起きたと知った

とき、わたくしは当然のように、あの方のご心配には根拠があったんだわ、と思いました

の。ですから、またご親族の方がお住みになるとうかがいますと、つい心が痛んで、きっ

とまた危険な目にお遭いになるのをお知らせしなくちゃ、と思ったんです。さっき申し上

げようとしたのは、それだけのことですの」

「危険って何ですか」

「地獄犬のこと、ご存じでいらっしゃいますでしょう?」

「あんな馬鹿げた話が信じられますか」

「わたくしは信じますわ。サー・ヘンリーが先生のおっしゃることをお聞きになるんでし

たら、ご先祖に次々と災難のふりかかったこの土地を、ぜひ離れるようにおっしゃって下

さい。世界は広うございます。なぜよりによって、こんな危険な場所にお住まいになるん

ですの」

「危険な場所だからこそでしょうね。そういう性質の方ですよ。あなたがもっとはっきり

したことを教えて下さらない限り、サー・ヘンリーは動いてくれそうもありませんね」

「はっきりしたことなんて申し上げられません。はっきりしたことは何も存じておりませ

んもの」

「ベリルさん、じゃあ、もうひとつだけ聞かせて下さい。あのとき、ああお言いだったの

が、それだけのことでしかなかったのなら、なぜお兄さんに黙っていてくれとおっしゃる

のです。お兄さんに知れようが誰に知れようが、何とも言われるはずがないじゃありませ

んか」

「兄はとても、どなたかがお屋敷に住んでほしいと願っておりますの。それが沼地一帯の

気の毒な人たちのためだと言うんです。サー・ヘンリーにお帰りになるように申し上げた

と知ったら、兄はどんなに腹をたてるでしょう。でもわたしはこれで責任を果しました

わ。もう申し上げることもございません。帰らせていただきます。兄がわたしのいないの

を知って、先生にまたお会いしたことを感づくかもしれませんから。ではこれで」

 彼女はふり向くと、やがて大石のころがる荒地のかげに消えてしまった。私は漠とした

不安に心を奪われながら、バスカーヴィル邸への道をたどって行った。

 


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