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九 ワトスン博士の第二報告(8)
日期:2023-11-13 14:56  点击:244

「まだ合図する気なんだね」サー・ヘンリーが言った。

「ここからしか見えないのでしょうね」

「どうもそうらしい。向こうまでどれくらいありましょうか」

「クレフト・トアの近くじゃないんですか」

「一、二マイルしかありませんね」

「そんなにもありませんよ」

「バリモアが食物を運んで行くとすると、そう遠くはないはずです。脱獄囚はあのローソ

クのそばでバリモアの来るのを待っているのですよ。ワトスン先生、あの男を捕まえに行

きましょう」

 僕もそう考えていたところだった。僕たちはバリモア夫婦の秘密に加担させられたとい

うわけではなかった。向こうから止むなく打ち明けたのだ。あの男は社会を脅 おび やかす危

険人物、まったくの悪人なのであるから、憐 あわ れんだり、容赦したりする必要はない。こ

の機会を利用して、害悪を及ぼせないところに連れ戻すのは、むしろわれわれのなすべき

義務にすぎない。あの兇悪無頼の奴とあっては、いま手を下さずにいたら、いずれ誰かが

犠牲者とならぬとも限らぬ。たとえばわが隣人ステイプルトン一家がいつ襲撃されるかも

わからない。サー・ヘンリーが熱心に犯人逮捕を考えているのは、胸中にこれあるがため

であろう。

「私も参りましょう」

「それじゃピストルを持って、長靴をはいて下さい。なるだけ早いほうがいい。奴は灯火

を消して、逃げるかもしれませんからね」

 五分すると、戸外に出て探検に出かけた。暗い灌木 かんぼく の中を通り、うら悲しい秋風の吹

く音、そよと散る落葉をききながら道を急いだ。夜気は湿っぽく、腐敗した匂いによどん

でいた。ときどき月がほんの一瞬顔をのぞかせたが、雲は空に低く流れ、沼地へ出たとき

は小雨が降り出していた。灯火はまだ、じっと前に燃えていた。

「武器は持って来ましたか」僕はきいた。

「狩猟用の乗馬鞭を持って来ましたよ」

「すばやくかからなきゃなりません。相手はやけくそになっているそうですからね。くら

わして、抵抗する暇 ひま のないうちにやるんです」

「ねえ、ワトスン先生。これをホームズさんが聞いたら、どう言うでしょうね。悪魔の跳

梁 ちょうりょう しそうな暗闇のこんな時間とあってはどうですか」

 あたかもそれに答えるように、突如 とつじょ 、一面の暗い沼地から奇妙な叫び声があがった。

僕が前にグリムペンの大沼地のあたりで聞いたのと同じだった。風にのって、夜の沈黙を

貫き、長い、深いつぶやきが、やがて高まるわめき声に変わり、それから悲しげな呻き声

になって消えて行った。それが繰りかえされ、そこらいったいの空気はために激しく鼓動

して、きしむような、脅迫するような無気味さだった。サー・ヘンリーは僕の袖にすがっ

て、その顔が白く、暗闇をすかしてちらりと見えかくれした。

「おお、あれは何でしょう、ワトスン先生」

「知りませんね。あれは沼地に聞こえる声ですが、前にいちど聞いたことがありますよ」

 やがてその声も消え、あたりはひっそりと静まりかえった。僕たちは耳をそばだてて

立っていたが、何も聞こえてこなかった。

「ワトスン先生、あれは犬のなき声でしたよ」

 思わず血の凍る思いがした。サー・ヘンリーの声は恐怖につかれて途切れていたから

だ。


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