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九 ワトスン博士の第二報告(10)
日期:2023-11-13 14:56  点击:275

「さて、どうしたものだろう」サー・ヘンリーがつぶやいた。

「ここで待つのです。奴はきっと灯火に近づいてきますよ。姿が見えるものなら、ひと目

でも見てやりたいものです」

 その言葉を口にするが早いか、男は姿を現わした。ローソクを立てた岩の割れ目の上

に、人相のわるい、黄色い、おそろしく野獣じみた顔が、いかにも卑しい表情をひっさげ

て立ち現われた。泥にまみれ、髯 ひげ をさか立て、もつれた髪を垂らして、丘の穴に住んで

いた古代の蛮人といった恰好であった。灯火を下から受けて狡猾 こうかつ な目が光り、その目は

暗黒の中をすかして、左右を鋭く見渡した。狩人の足音を聞きつけた、奸智 かんち にたけた野

獣さながらだった。

 明らかに男は何かを感づいていた。僕たちにはわからないが、バリモアだったらお互い

同志の間の合図を交わすのかもしれない。それとも何かほかに、これはおかしい思わせる

わけがあるのだろうか。ともかくも僕はその邪悪な顔に恐怖の感情が読みとれたのであ

る。それに、いつ、灯をはねとばして、暗闇に消えさるかもわからない。そこでわれわれ

は躍りかかった。間髪をいれず、囚人は鋭い呪いの言葉を浴びせて岩を投げつけた。それ

は僕たちのかくれていた丸石にぶつかって、くだけ散った。囚人はとびあがって逃げて

行ったが、そのとき、背の低い、ずんぐりと頑丈な姿を認めたのであった。運よく月が雲

間に見えた。僕たちは山の端に駈けて行ったが、相手は猛烈なスピードで逃げて行った。

まさしく山羊のようなすばやさで石ころをはねとばして、向こう側を走り去って行く。

もっとも、ピストルを浴びせてうまく当れば、相手の足を止めてしまえるのだが、これは

攻撃を受けた場合の護身用として持って来たのであって、敗走する武器なき敵を射たんが

ためではない。

 僕たちはふたりとも走ることには自信を持っており、それに調子も良かった。しかし、

追いつけないことはすぐにわかった。男は月光の中を一目散 いちもくさん に逃げ、はるか向こうの

丘の中腹を、丸石の間をかけて遠ざかり、ほんの小さな点にしか見えなくなった。僕たち

はその跡を走りに走ったが、完全に息切れがしてしまった。互いの距離はますます大きく

なり、とうとう僕たち二人は途中で、あえぎながら休んでしまった。囚人の姿はかき消え

た。

 そのとき、不思議な、意外なことが起こった。岩から腰をあげて帰路につこうとして、

僕たちが望みなき追跡をあきらめたときだった。月は右手に低く傾き、そそり立つ花崗岩

の山の頂きが、うねっている銀色の半円の平地の上に立ちはだかっていた。そこに、漆黒

のような人影が月光を背にして立っているのが見えたのだ。妄想だと思ってくれるな、

ホームズ君。こんなにはっきりした人影を目にしたことはなかったのだ。

 僕の見たところでは、背の高く、やせた男だ。少し足を開いて立ち、腕を組んでじっと

うつむいたところは、広大な泥と花崗岩を前にして、何か思いを馳 は せているようであっ

た。彼こそ、この怖るべき土地の精そのものであったかもしれぬ。あの囚人ではない。囚

徒の消えた地点からずっと離れているし、それにもっと背が高かった。

 僕は驚きのあまり声をあげてサー・ヘンリーのほうへ所在を示そうと、ふりむいて腕を

つかんだ瞬間、その男は見えなくなっていた。依然、月の下辺を切る花崗岩が屹立 きつりつ して

いたが、その頂きにはあの静かな不動の人影は跡かたもなかった。

 僕はすぐその方向へ行って、岩山を調べてみたいと思ったが、ここからは大分離れてい

る。それにサー・ヘンリーは、あのなき声を聞き、自分の家系にまつわる暗い物語を思い

出してか、ひどく心を痛めていたので、新たな冒険に出かける気はしないようだった。

 それに彼は、岩山の上の、この孤立の人影を見なかったのだから、その不思議な出現

と、犯しがたい態度から受けた、僕の感動に共鳴することなどできるはずもなかった。

「看守ですよ、きっと。あいつが逃げてから、沼地には沢山の看守が入りこんでいますか

ら」と、彼は言った。そう、なるほどそういうことも言えるかもしれない。それにして

も、僕はもっと確実な証拠をつかんでおきたいものだ。今日はプリンスタウンの人々へ、

犯人を見かけたことを通知しておくつもりだ。すれば、そこで失踪人物を探してくれるだ

ろう。しかし自分たちの手で捕まえて勝利を喜ぶことができなかったと書くのはつらいこ

とだ。

 以上が昨夜の冒険のいきさつだが、ホームズ君、こうして精よく報告していることだけ

は君も認めてほしい。大部分の話が、事件とは筋違いであろうかもしれぬが、事実をこと

ごとに申し伝えて、後は君自身の解決に役立つようなところを、これらから選んでもらう

のがいちばんよいことだと思っている。幾分でも前進していることは確実だ。バリモア夫

妻に関しては、あの行動の動機が発見できたし、そのことで情勢がだいぶ明瞭になった。

だがさまざまの神秘をまとう沼地や、そこの奇妙な居候者たちのことは以前同様、不可解

のままである。次便ではこの点にも、もっとはっきりしたことが言えるかもしれない。

もっとも、君がこちらへ来てくれれば、それがいちばんいいのだが。

 


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