ところがそこへ、この難局に活路をひらくうまいチャンスの到来だ。つまり、彼を友だ
ちだとばかり思いこんでいたサー・チャールズは、ローラ・ライオンズという不幸な婦人
に慈善をほどこすための代理人に彼を頼んだ。そこで、独身者だというふれこみで、彼は
その婦人を完全に左右するようになったんだ。そしてもし彼女が今の夫と離婚することが
できたら、自分は彼女と結婚するつもりでいる、というふうに思いこませた。
ところが、サー・チャールズはモーティマー医師のすすめでバスカーヴィル邸を出発し
ようとしていることを知り、彼の計画はにわかにどたん場に追いこまれた。一応そのこと
には自分自身も賛成であるというふうにみせかけておいてね。
さて、ただちに実行にうつさなければならない。そこでむりやりライオンズ夫人に手紙
を書かせ、老人が出発する前の晩、彼女に会ってくれるよう頼みこませた。それから、何
とかかんとかもっともらしいことを言って、彼女を会いに行かせないでおいて、待ちに
待った機会をつかんだわけなんだ。
夕方クーム・トレイシーから馬車で帰ると、犬を連れ出して、地獄犬に仕立てるための
塗料をぬり、老人が待っているはずの門まで連れてゆくことができた。さて、主人にけし
かけられた犬は、くぐり戸を飛び越え、不幸な老人を追いかけた。老人は《いちい》の並
木道を悲鳴をあげて逃げ走ったんだ。あの薄暗い枝のおおいかぶさった道では、あの巨大
な怪物が口から火をふき、らんらんと眼を輝かせて老人の後ろから駆けてくるありさま
は、まったく見るも怖ろしいことだっただろうね。彼は小道のゆきどまりで心臓病と恐ろ
しさのために倒れてしまった。犬は老人が道をはしっている後から芝生を走ったので、足
跡は人間のものばかりだったわけだ。老人が倒れて動かないものだから、犬は近づいて臭
いをかいだんだろう。で、もう死んでしまってるものだから、またもとへ帰って行った。
その折、モーティマー医師が見つけたような跡をのこしたんだ。犬は呼び戻され、すばや
くグリムペン泥沼のすみかに連れてゆかれた。そしてこの不思議な事件は当局を困らせ、
人を怖れさせることになった。
そういうわけで、ついにわれわれが腰をあげて調査にのり出すことになったんだよ。
サー・チャールズ・バスカーヴィルの死については、これで十分だ。これが悪魔のよう
な奸計だと、君にはよくわかるはずだ。それというのも、実際、事件の真犯人を探し出す
のがほとんど不可能に近かったし、唯一の共犯者ときたら、畜生で、決して彼を裏切るよ
うなことはできないのだし、ちょっと考えられないような工夫によって、その畜生の怪奇
さはさらに効果的となるばかりだからね。
この事件に関係したふたりの女性、ローラ・ライオンズ夫人およびステイプルトン夫人
は、ふたりともステイプルトンに対して強い疑いをもっていた。ステイプルトン夫人は夫
が老人に対して何か企んでいることも勘づいていたし、また犬が飼われていることも知っ
てたんだ。ライオンズ夫人はふたつとも知らなかったが、彼だけしか知っていない、あの
取り消しもしなかった約束のその時間に、老人が奇 く しくも死んだということで彼に疑いを
抱いていた。だがふたりとも彼の意のままであったので、彼のほうではこのふたりを少し
も恐れてはいなかったんだ。こうして彼の仕事のはじめの半分は上首尾に終ったが、もっ
と厄介なのがまだ残っていたわけだ。