だが、この事件にはもう一つ私を昂奮させる異常な要素があるのだ。それは事件に終始
絡んで来る一面の琴である。変事が起こるたびに人々が聴いたという、あの荒ら荒らしい
琴の音! いまだに浪漫癖の抜け切れぬ私にとって、それはなんという大きな魅力だった
ろう。密室の殺人、紅殻色の部屋、そして琴の音、──いささか薬が効きすぎるほどのこの
事件を、私が書きとめておかないとしたら、それこそ作家冥利につきるというものではな
いか。
さて、話が少し先走ったが、私の家からこの事件のあった一柳家の邸やしきまでは、
ざっと十五分くらいの距離である。そこは岡──村字山ノ谷というだけあって、三方を山に
かこまれた小部落で、ひくい山のうねりがヒトデの足のように平地に向かって突き出して
いる。その足の尖せん端たんに一柳家の広い邸宅があった。
この突き出した山の西側には小川が流れており、一方東側には山越しに久──村へ通ずる
細い道が走っているのだが、この小川と道は平地へ出てから間もなく合している。一柳家
はこの小川と道とでくぎられた、不規則な三角形をした二千坪ほどの土地を占有している
のである。つまり一柳家は北は突き出した山の端はずれに接し、西は小川にくぎられ、東
は山越しに久──村へ通ずる道にむかっているのだ。門は言う迄までもなく東の道に面して
いた。
私は先ずその正門のまえを歩いてみる。道から少し上がったところに、乳ち鋲びようの
ついた黒い大きな門があり、門の左右には立派な塀が、二町にわたって続いている。門か
ら中を覗のぞいてみると、外塀の中にもう一つの内塀があるらしいのが、いかさま大家ら
しく思われたが、内塀から中は見えなかった。
そこで私は歩を転じて屋敷の西側へ回ってみた。小川に沿うて北へ進むと、一柳家の塀
の切れるところにこわれた水車があり、水車の北側に土橋がかかっている。私はこの土橋
を渡って、屋敷の北側をくぎっているがけのうえの、ふかい竹たけ藪やぶの中へもぐりこ
んだ。このがけの端れに立って南を見ると、邸内の様子がほぼ完全に俯ふ瞰かんすること
が出来るのである。
先ず私が最初に眼を向けたのは、すぐ足下にある離はな家れの屋根だが、この屋根の下
こそ、あの恐ろしい事件のあったところなのである。人の話によると、これは一柳家の先
代が隠居所に建てたもので、中は八畳と六畳きりのごくせまいものであるという。しかし
さすがに隠居所だけあって、建物は小さいが、庭は凝っていて、南から西へかけて、少し
くど過ぎると思われるくらい庭木や石が配置してある。
この離家の事はいずれ後に詳しく述べるが、さていまそこを越えて遠くむこうを見る
と、そこには一柳家の大きな平家建ての母おも屋やが東向きに立っており、更にそのむこ
うには分家の住居や、土蔵や納な屋やが不規則にならんでいた。この母屋と離家とは建け
ん仁にん寺じ垣がきで隔てられ、その間をつなぐのは小さい枝し折おり戸どだけだった。
いまはこの垣も枝折り戸も、見るかげもなくこわれているが、事件当時はまだ新しくしっ
かりしていて、それが悲鳴をきいて母屋から駆けつける人々を、いっとき食いとめたので
ある。